深く静かに

実際はかかわった多くの子どもが「学校」という場所に帰っていっているにせよ、私の口から「学校に戻りなさい」とか「学校は行かなくちゃ」というような事は一度も言ったことがない。

学校へ行くか行かないかは子ども自身が考えればいいことで、考えるために必要な、多様な情報は、本人が求めるならば用意はするが、こちらからあれこれ押し売りすることもない。

本人が学校に本当に行きたいなら、
行くための何らかのサポートが必要なら、
それを用意すればいい。

たとえばいじめを解決する、
子どもの個性にかんして教師の理解を深めるなど。

勉強についていけなくて学校へ行けなくなる子が多いと思われているようだが、私が知る限りそれは「ない」。

心的負担に耐え切れず、学習に支障が出ている子は多く居るが。

私的に言えば、不登校できる子はまだいい。
一番怖いのは不登校も出来ず、させてもらえず、心を病んでいる子が非常に多いことだ。

対人恐怖、強迫神経症、うつ、人格障害、自傷、非行、家庭内暴力、などなど、多くの場合「学校へ行きながら」深く静かに子どもを、家庭を蝕んでいっているのだ。

なかなか表には出てこない。
だから怖いのだ。

自己肯定感も、社会性も、家族間の愛情関係も壊れてなお、学校にだけは行き続けている子ども達のその後を考えると暗澹たる気持ちになる。

そんなになってまで行く甲斐のあるある場所ではすでになくなっているということをいったい誰が表に出すことが出来るのであろうか。

口だけの教育改革ではもうどうにもならなくなっている学校という存在。
教師が病み、子どもが病み、親さえもすでに…。

膿を出すことのできる、現場を知り、意識をもった人が責任ある立場に立つ日が来ることを切に願う。