不登校の子どもの権利宣言

下記は今年夏に行なわれた「不登校を考える第20回全国大会」と同時開催された「子ども交流合宿ぱおぱお」に参加した子どもたちが作ったものです。

 【不登校の子どもの権利宣言】 
前文 
 私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。
しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。
不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。
 おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考え方やや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会を作っていきませんか。
 多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるよう、今日この大会で次のことを宣言します。

1 教育への権利
 私たちには、教育への権利がある。学校に行く・行かないを自身で決める権利がある。義務教育とは、国や保護者が、すべての子どもに教育を受けられるようにする義務である、子どもが学校に行く義務ではない。

2 学ぶ権利
 私たちは、学びたいことを自身に合った方法で選ぶ権利がある。学びとは、私たちの意思で知ることであり他 者から強制されるものではない。私たちは、生きていく中で多くのことを学んでいる。

3 学び・育ちのあり方を選ぶ権利
 私たちには、学校、フリースクール、フリースペース、ホームエデュケーション(家で過ごし・学ぶ)など、どのように学び・育つかを選ぶ権利がある、おとなは、学校に行くことが当たり前だとう考えを子どもに押しつけないでほしい。

4 安心して休む権利
 私たちは、安心して休む権利がある。おとなは、学校やそのほかの通うべきとされたところに、本人の気持に反して行かせるのではなく、家などの安心できる環境で、ゆっくり過ごすことを保障してほしい。

5 ありのままに生きる権利
 私たちは、ひとりひとり違う人間である。おとなは子どもに対して競争に追い立てたり、比較して優劣をつけてはならない。歩む速度や歩む道は自身で決める。

6 差別を受けない権利
 不登校、障がい、成績、能力、年齢、性別、性格、容姿、国籍、家庭事情などを理由とする差別をしてはならない。例えばおとなは、不登校に子どもと遊ぶと自分の子どもまでが不登校になるという偏見から、子ども同士の関係に制限を付けないでほしい。

7 公的な費用による保障を受ける権利
 学校外の学び・育ちを選んだ私たちにも、学校に行っている子どもと同じように公的な費用による保障を受ける権利がある。例えば、フリースクール・フリースペースに所属している小中学生は通学定期券が保障されているが、高校に在籍していない子どもたちには保障されていない。すべての子どもが平等に公的費用を受けられる社会にしてほしい。

8 暴力から守られ安心して育つ権利
 私たちには、不登校を理由とした暴力から守られ、安心して育つ権利がある。おとなは、子どもに対し体罰、虐待、暴力的な入所・入院などの暴力をしてはならない。

9 プライバシーの権利
 おとなは私たちのプライバシーを侵害してはならない。例えば、学校に行くように説得するために、教師が家に勝手に押しかけてくることや、時間に関係なく何度も電話をかけてくること、親が教師に家での様子を話すこともプライバシーの侵害である、私たち自身に関することは、必ず意見を聞いてほしい。

10 対等な人格として認められる権利
 学校や社会、生活の中で子どもの権利が活かされるように、おとなは私たちを対等な人格として認め、いっしょに考えなければならない。子どもが自身の考えや気持をありのままに伝えることができる関係、環境が必要である。 

11 不登校をしている私たちの生き方の権利
 おとなは、不登校をしている私たちに生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せは生まれない。 

12 他者の権利の尊重
 私たちは他者の権利も自由も尊重します。

13 子どもの権利を知る権利
 私たちには、子どもの権利を知る権利がある。国やおとなは子どもに対し、子どもの権利を知る機会を保障しなければならない。子どもの権利が守られているかどうかは、子ども自身が決める。

2009年8月23日 全国子ども交流合宿「ぱおぱお」参加者一同

これを読まれて、どうお感じになったでしょうか?
子どもたちは勉強がしたくなくて学校に行かないのではありません。
楽がしたいから学校に行かないのではありません。
不登校をすることには「命」がかかっているのです。

「8」にも書かれているように、不登校を病気とされ、強制的に入院させられたあげく、薬の大量投薬による副作用でいくらもたたないうちに命を失ってしまった子どもたちがひとりならずいます。

学校に行かないことがそんなに重大で許すべからざる子どもの行為でしょうか?

何が大切か?
私たち大人がもう一度立ち止まり、子どもたちと手を携え、社会のゆがみを正す時期が来ているのだということを私は強調して言いたいと思います。