人間関係の少なさについて

私の仕事の一つに、認知能力強化プログラムの実施がある。
その中で改めて感じたことを書きたい。

教材の一つに「家族関係」を学ぶものがある。
その中に「いとこ」が出てくるのだが。

考えてみればいまさらなのだが、
「いとこ」のいない、少ない人が多いのだ。

おじ、おば、の存在自体が少ない。
その上に当然「いとこ」が少ないのだ。

私には主人と合わせればなんと40人近いいとこがいる。
関係の近い遠いはあるが。

いまさらながら思うに、家族ではない、他人ではない、中間的関係のおじ、おば、いとこの存在にはかなり大きなものがあると私は感じる。
田舎で住んでいるせいもあるのであろうが。

なにかにつけ集まった時のどっか似通った集団。
心の第3の居場所だったような気がする。

兄弟とは違う距離感。
両親とは違った親近感。
それが貴重だったのではないかといまさらながら思う。

それが自分たちの意思に関係なく失ってしまっている今の子どもたちにとって、自己肯定感や、コミュニケーションの複雑性を学ぶ機会の喪失になってはいないか?と私は思う。

生きる場所、所属する場所が2つ(学校と家)しかないのは安定を欠いて当たり前ではないかと思う。

陶芸で教わったのだが、2本足や4本足は安定が難しい。
倒れるかどれかが浮くか。

日頃相談に来てくださる方にも繰り返し言うのだが、
3本足がいい。
一番安定するのだ。

学校、家以外のもう一つの、物理的、心的な居場所。

子どもたちから奪ったままではいけないと思う。

それがあれば生きられる。
子ども達の相談を聞き続けて10年。
確信を持って言う!