不登校ビジネス

「不登校ビジネス」と呼ばれるものがある。
そのすべてを否定するものではない。

今の時期、この業界は掻きいれ時になる。

学校神話、時代遅れの学歴神話にとらわれている親や子どもがその餌食になる。

うちは不登校してきた子どもたちも受け入れます、ちゃんと面倒を見ます、などとうたっているのだが、100万を超えるお金を払って入学しても何らのフォローもなく、これないのだからうちはどうにもできない、一度払い込まれたお金は返しません、となるのだ。
これほどぼろい商売はないであろう。

親はお金が無駄になったと子どもを責めるようになってしまったりする。
次に子どもが真に何かやりたいことができた時にその資金がない、出せないことになっていたりする。

子どもが「〜したい」という時に周囲は充分注意する必要がある。本当に望んでいることは違うことだったりすることがあるからである。

親や周囲、自分自身のつらさから自分の状態も認知できずに何かにすがるようにして学校を選択してしまうことがある。

大人の側のちゃんとした見極めがなくてはならないと思う。
なぜか?
思うようにならなかった時、一層の自己否定を招いてしまうことになる可能性が高いからである。

多くの親は子どもが学校に行きたいと言うと喜ぶことが多い。
ほいほいと動く。
しかしである、期待がその通りにならなかった時、その怒りがどこに向いてしまうか。
子どもは決していい加減に学校に行きたいと言ったのではない。
そう望んだことは真実なのである。

望んだとしても、学校で経験してきたトラウマがなくなっているわけではないことも多い。
ただ勉強したいだけのことであることも多い。
その場所として学校しか思い浮かべることができないだけかもしれないのだ。
大人は慎重であることが求められる。

多くのほかの国では日本と違いホームエディケーションが認められているからこういうことは起こりにくいと考えられる。
制度の不備によって個人が不利益を受けている現実があることを知っていただきたいと思う。

フリースクールと名乗っている一部の施設で、通信教育のサテライト校になっているところも多いが、私から見たら「学校神話」の後押しをしているだけに見える。

そういう呪縛から子どもたちを解放して、そのうえで学習する場所として、自分自身がどこを選ぶかのサポートをする場所であることがフリースクールと名乗る場所に大切なのではないかと私は思うのだが。

ただし、別の場所として運営するのならその限りではないと思う。

実は私がかかわっている不登校の子どもたちは学校に帰ってしまうことが多い。
その結果、どこかで知られて、いろいろな地域から、教育、福祉、心理の関係者の方などが理由を聞きに来られることも多い。

私は一度も学校に行かなければならないと言うことはない。
はっきり言えば行かなくていいと言っている。

それでも学校に戻ってゆくのはなぜか?
私はこう思っている。
「どんな地獄でも、自分が選択しての結果であるなら人は耐えられるのだ」と。

子ども自身が選択できるには、時間、情報、信頼、が必要であって、周囲がそれを用意できるか?が重要なのだと私は考えている。

それを理解しその時間を過ごせる環境の整備をすることが必要な家庭へのサポートが私の仕事であると考えている。