もちろん本人。
ですが、家族も大きな重荷を抱えることになることが多いですね。
主に社会からですが。
引きこもりの人に一番必要なのは何か?と聞かれたら私は「理解である」と言います。
次はお金ですね。
家族とのいろいろがこれで解決したりします。
本人が色々な意味で楽になれば社会にも出られるし、職にもつけるようになるかもしれません。
そこで必要なのは(「就労支援」という名目であっても全くかまいませんが)「壊れない人間関係を経験してもらう」ことであったり「障害の部分をどうして行ったらいいか」の学習の機会提供であったり、働くこと、学歴などが人間の条件、生きてゆく上での必須条件であるかのような間違った認識からの解放であったりします。
「就労」はなにも外に出ることと同義語ではないし。
大切なのは本人が外へ出ることが楽しくなる環境整備ではないか?そしてそれをしなければならないのは、私たち自身の努力ではないかと思います。
昔話にある天照大神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになったとき、周囲はどうしたでしょうか?
大きなヒントだと思います。
その人が必要であるという意思表示と楽しそうな外。
そしてもう一つの昔話。
三年寝太郎
その三年間、親は責めることなく食事を運び続けたそうです。
そしてそれができたのは親に子どもを信じられる強さと資力があったから。
現代において、親をそのようにしていられるように支えることができる社会支援もまた必要なのだと私は思います。
人には「動くばかりでなく、静かに過ごす時間、考える時間」が必要です。その時間が今の子どもたちに与えられているでしょうか?残念ながら非常に疑問であると言わざるを得ません。
間違っても親を責め、本人を否定するような対応は「仏作って魂入れず」「本末転倒」であると私は確信しています。