不登校の現場

不登校と一口に言っても、その中身は本当に多様で、いじめが原因のこともあれば、学校のあり方に真っ向から拒否感を持ってのものなど、それもいろいろな状況が複雑に絡み合い、一口では到底言えないのが本当のところです。

当然それに対して大人がどうするべきか、多様性が求めらるわけですが、実際はどうかといえば、硬直した一方的な、そこにいる実際の子どもの権利や、長い目で見た親子関係、その時の学校の環境などをわかった、考えた上での対処は本当に少数と言わざるを得ません。

自分の経験を言えば、何年もの間、子どもの持ち物に対しての小さな嫌がらせから、命も危ぶまれるいじめを受け続け(集団登校時などに車道に押し出される、3階から落とされそうになるなど)、繰り返し学校も認知していたことであるのに、修学旅行の際に受けたいじめの一部分を文集に正直に書いただけで、それを読んだほかの保護者からの「これはいじめではないか」の複数の声に、その文集を回収し、「こんな嘘は書いてはだめ書き直しなさい」といい、断った息子に対し「あなたのために文集が出せない、みんなに迷惑が掛かる」といい、勝手に文章を切り張りして再発行されたのです。

そうして子どもが不登校になった後、なにを学校がしてきたか、専門家と言われる多くの人が親と子にどのようなことをしてきたか、おいおいに書いてゆきたいと思います。

なぜそれを書くかといえば、いまだにその間違ったいろいろな方法がとられ多くの子ども、親が苦しんでいる実態があるからです。

このことは単なる不登校している子どもや家族だけの問題ではすでにまったくなくなって来ています。

学校に行き続けながら心を壊していっているこども、それがわからないまま壊れてゆく親子関係、間違った認識、指導のまま、社会に大きな悪い影響を及ぼしてしまっている事例が本当に数多くあります。

そうなる前に私たち大人一人ひとりが何を知り、何をしなければならないかも書いていきたいと思います。

そうすることが、この社会をよりよくしてゆくために絶対必要なことだと私は確信しています。

なぜなら
「こどもたちは私たちの未来そのもの」だからです。

こどもがすこやかに育つことのできる社会こそが、大人にとっても生き易い社会であり、今がそうではないことは、年間3万人を超す自殺者、その何倍とも言われる未遂者が証明していると思います。

私たち自身のためにも、子どもたちの環境をよりよくしていきましょう!!