以前、事務局のある「めだかの家」(引越し前)の近所の方に、
「あんたとこはえらいもんやなあ、来た時下向いてきた人が帰る時は上向いて笑ってかえらはる。」と言われたことがあります。
自分では解りませんでしたがそういわれると「そういえば」と思うところはあります。

先日、親の会でお会いした一人のお母さんに他の皆さんが「見違えるほど明るくなられましたね最初は泣かれてばかりだったのに」と。

この1年、おかあさんは(もちろんお父さんと協力して)「子どもに愛を伝える方法」「主体性を持って付き合うことの大切さ」を頑張って実践してこられました。「愛されている自信」がいかに子どもを変えるかを実感してこられました。
暴力、強迫神経症などいろいろな課題を乗り越えてこられたのです。
これからもいろいろあるかもしれませんが、それと向き合う力を蓄えることができるように私たちがサポートしていけたらと思っています。

私がしていることの一つは「通訳」です。
英語?スペイン語?いえ、日本語同士です。
通訳が必要なの?と思われるでしょうか?
実は必要なんです。

人は苦しい時、言葉を選んではいられないときがあります。
子どもならなおさらです。
自分ではどうしてこんなに苦しいのかも解らない時があります。

もちろん親だからと言って子どもの全てが解るわけではありません。
そもそも、子どもの傍にいられる時間が昔と違って本当に少なくなってしまっていますし、時代の変化のスピードは私たちの子どもの頃と比べたら10倍は速くなってしまっています。

私たちが子どものころにはふんだんにあった時間、自然、人間関係が本当に心細くなるくらいに少なくなっています。

それを埋める事のできる価値があるものを私たちは子どもたちに用意できているでしょうか?
私は「まったく」と言いたいと思っています。

消費する存在として子どもがターゲットにされている。そう考えています。
それは子どもの責任では「まったく」ありません。

何か課題を持った子どもたちと、その周囲の大人たちと、共に何かをしようとするとき、私たちサポーターがそれを忘れては「解決の方法を間違える」と私は断言したいと思います。

それと忘れてはならないことがもう一つ。
「子どもは1個の人間である」ということを強調したいと思います。
それを無視したサポートはありえないということを忘れずにいたいと思います。

子どもの人権が残念ながら無視されているいろいろがあまりにも多すぎます。
子どもの人権を守ることは自分たちの人権を守ることと同じです。

それに関しご紹介したいイベントがあります。

東京弁護士会 子どもたちと弁護士がつくるお芝居
もがれた翼 Part15 LINK 〜あなたが、立ち上がるまで〜

東京弁護士会のサイトをご覧下さい。

現場を知るものはそれを伝えてゆく義務がある。
私もそう思っています。
なかなかお話しする機会がありませんが・・・。