究極の思い出横丁めぐり。

それは他の町に暮らしてみること。

私が大学を卒業した2000年の22歳の春。
不景気だという外的要因と
「やりたくない仕事は絶対にしたくない」という内的要因で
いわゆる「フリーター」になっていた時期がありました。

高校時代に勉強の楽しさを分かり
「落ちこぼれ」がいっぺんに「優等生」になった大学時代。

正直、優等生だった自分に酔っていて
就職活動に失敗したという見方もあります。

生まれてから3番目の辛い時期でした。

あまり多くは語りたくないですが
私にとっての22歳は
そのような挫折を味わった歳でした。

その22歳の夏、二歳年下の妹が暮らす町、
東京・練馬区の石神井公園で何日か生活しました。

必需品以外は持たずに
逃げるように大阪を離れたのを今でも覚えています。
今から思えばバカな話ですが
「この世に私の居場所はない」と本気で思っていました。

妹は「テレビのレポーターになるんや!」と20歳で上京。
彼女もまた、その当時上京したてでいろいろ悩んでいました。

彼女は、当時池袋のパスタ屋さんで生活費を稼ぐ為に
バイトをしまくっていましたり、レポーター養成学校に行っていましたので
一日中私が一人で行動する日が結構ありました。

だから本当に、そこで一人暮らしをしているみたいでした。

昨日まで22年間過ごしていた町を飛び出し
見知らぬ町の大きな公園を散策し
ベンチに座って、人や風景をぼーっと眺める。

帰り市場で夕ご飯の材料を買い、誰もいない部屋で
野菜を切る。包丁から奏でられるリズミカルな音が
その町の夕焼けに妙にマッチしていて
ちょっぴりセンチメンタルな気分になる。

終日、妹以外には誰とも何も、話しない日々。

それはとても寂しいものでした。

そして
「本当に自分の居場所がないというのは、こういうことを言うんやな」
と分かったとき、大阪に戻りたいと思ったのです。

「なんやかんやあるけど、また大阪で頑張ろう」
と思えるようになったのです。

日常生活の場から離れると
自分自身を客観的に見ることが出来
自分にとって本当に大切なモノ・コト、そして人が見えてくるのです。

まるで、今まで頑張る程、焦れば焦る程、絡まっていった毛糸の玉が、
あれよあれよという間にスルスルと「ほどけて」いく感じです。

今でもそうですが
精神的に追い詰められた時、私は突然姿を消します。

所謂一人旅ってやつをしています。

列車に乗ってブラブラと・・・。

パッと見た感じでは、
「ただボーっとしている人」にしか見えないですが、
本当はそこで、いろんなものを「ほどいて」いるんです。

若いからでしょうか?
性格でしょうか?

とにもかくにも
私は本当に欲張りで、何もかも手に入れたい!
といつもセカセカしていて、けど不器用なので、
すぐ精神的に追い詰められるのです。

めちゃくちゃ細い平均台の上に乗って、
落ちないように必死で渡り続けているのと似た感があります。

そんな一見危険そうな精神状態ですが、
一方でそのような必死さ・忙しなさを楽しんでいる自分もいたりします。

なんやかんやで、このようなセカセカしたライフスタイルは
きっと私に向いているのです。

その22歳の時から今まで、6年の間
(もちろん生まれて今までもそうですが)
いろんな人たちに助けられ
自分の居場所ややりたいことがはっきりして
充実した時間を過ごしておりますが
最近、30歳を目前に控え
またまた大きな悩みがフツフツと沸いてきました。

ホント、人生って山あり谷ありですね。

どっかに忽然と姿を消したいです(笑)。