おかげさまで、今日も何やかんやでドタバタ
しているのですが、そんな中、母が・・・
「おかあさん、今日めっちゃ忙しいから
地蔵盆のお金、払ってきてー」とお願いされ、
「ちっ☆私も忙しいのに〜(%怒る女%)」って、
ちょっとブチブチ言いながら、近所の地蔵盆の場所まで行きました。
地蔵盆って、子どもの守り神である
「地蔵菩薩」を祭っておられるのですね。さっきネットで調べました(笑)。
今日、はっきりその意味が分かりました(遅いなー・・・爆)。
物心ついた時から、ここの地蔵盆では、
私の名前(兄弟で1個)が書かれたチョウチンが
ぶら下がっています(%ニコ女%)(%音符1%)
今でも私の母は、毎年この地蔵盆に「御供」のお金を
支払い続けているようで、その事実を今日知りました。
(もう大人になったんやから、払わなくてもいいのに、とも思いました・笑。
だけど、母にとって、私たちはずっと「子ども」なんでしょう)
小学生の頃は、このお地蔵さんがある、車が殆ど来ない裏路地に
毎日のように遊びに来て、年齢の違う近所の遊び仲間と
日が暮れるまで、当時流行っていた「ファミコン」をしたり、
お店屋さんごっこしたり、外で「たんていごっこ」や
ドッジボールをしていました。
勉強は当時殆どしておらず、限りなくビリに近かったです(^^;)。
今の私の根幹部分を形成して頂いた、古き良き私の少女時代を
過ごした思い出の場所です。
中学生以降、遊ぶ友達や、生活の動きが変わり、
この路地には殆ど来なくなり、今日に至っています。
そんな場所を一人、お地蔵さんを参拝した後、
散策しておりますと、昔のことがうわーっと
思い出されて、何とも言えない感動といいますか・・・
こみあげて来るものがあり、今日の雨に天気と一緒に、
ウルウルしていました。。。
そして、思ったんです。
「何気なしに、勝手に一人で今日まで生きてきたつもりになってたけど、
やっぱ、そうじゃなくて、両親をはじめとして、本当にたくさんの方々や場所やモノに
お世話になって生きてきたんやなー」って、「温故知新」気分になりました(笑)。
私が13歳の中学生になって、ここの地蔵盆に行かなくなった後も、
毎年ずうーっと、こんな感じで、毎年私の知らないところで静かに
私の名前が入ったチョウチンをぶら下げて下さってて、
私の幸せを祈って下さっていたんやなー・・・って。
これって、ほんとうにありがたいことですよね。
私って、この町(の人たち)にとっても愛されているんやなーって
とっても良く感じました。
10代・20代の時は、生まれ育った町(足元)のことなんて、
殆ど関心や興味がなく、外ばかりに目が行っていました。
そして他人よりも、自分の幸せしか関心がありませんでした。
ま、それが『若い』ってことでもあるのでしょうかね。
だけど、30代になって、ちょっとずつ、人様の幸せを考えたり、
足元をじっくり見れるようになって来たなー・・・と、私は思いました。
歳を取って失うものもありますが、
こんな感じで、だんだん分ってくる・得ることも結構あり、
「歳ととるのも、わるくないなー」と思いました(%笑う女%)(%王冠%)
御供のお金を、そのお地蔵さんの向かいにある、
昔良く遊びにいってた家のおばちゃんに渡しに行きました(%笑う女%)(%ハート%)
すると、お嫁に行ったかつての遊び仲間の女の子がいて、
カワイイ赤ちゃんを見せてくれて、
そこのおばちゃんと3人でワイワイしゃべっていました。
普段絶対に会わない人たちと、昔のように
タメ口でしゃべっていて、何だかとっても不思議で、そして
心地よい時間でした(%ニコ女%)(%星%)
帰りしな、右の電信柱の横を通りました。
この電信柱、私が幼少の頃は木で出来ていて
良く登っていて、その電信柱の側の御宅のおばさんに
良く怒られました(%とんかち%)(%痛い女%)
そんな今となっては、いい思い出がたくさん詰まった
ご近所さんです(笑)。
またしばらく行きますと、別の電信柱に
盆踊り大会の、カワイすぎの手描き案内ポスターが(%ニヤ女%)
私が小学生の時からすでにあった超地元『白百合子供会』の
盆踊り大会、まだやっていることに感動〜!
今日、ちょっと見に行ってみようかなぁ〜(笑)。
そんな感じで、日々「モウレツ経営者」しして、
モウレツに自転車こいで、「おっさん」って言われている
よしこちゃんですが(苦笑)、久しぶりに、『後ろ』をふりかえって、
立ち止まった、素敵な土曜日の午後でした(%ニコ女%)(%音符1%)
ってことで、またモウレツ経営者に戻りまーす。
何だか、また、元気にがんばれそうな・・・後ろから誰かに
押されている・支えられている、ステキな心境です(%笑う女%)(%ハート%)