高野山でプチ修業〜♪ ★前編★

先日、地元で入ってる『八尾商工会議所青年部』

7月度例会として、みんなでバスに乗って

高野山に行きましたぁ〜(^O^)☆

経営者としてでも人としてでも必要な『精神修業』をしに行きました。

会場は、『高野山 一乗院』。途中気付いたのですが、

21年前、小学5年生の夏に、林間学校で一泊した場所でした(^O^)!!!

そこの大広間で、先生が怖い話をしてくれたり、枕投げしたり、

友達と二人で一つの布団で寝たり・・・また、夜にキモダメシで

二人一組になって薄暗いお墓の中をウロウロしたり、

先生がお化けになってオドカシてくれたり、

翌日は『お墓スタンプラリー』みたいな、5人くらいのチームで、

武田信玄や曽我兄弟などのお墓を探し回ることをしたり、

生まれて初めての親以外とお泊まりした、

古きよき思い出の場所でしたぁ〜(^O^)♪

さて。夕方6時に到着しますと豪勢な『精進料理』が

どーん☆と出て来ました(^O^)!

四国遍路旅で泊まったお寺の宿坊は、魚・肉、アルコール、

バンバン出てきて、しかも食堂に関わる人の多くが、

普通の人でしたが、そこは見事に肉魚、アルコールはなくて、

配膳して下さる方全員、男性の若いお坊さん(研修の方含む)でした。

お料理は、基本的に全て薄味。薄い中に、芸術の域にまで

達しそうな繊細で緻密、そして優しい味がして、感動。

そして、お接待して頂いたお坊さんのきめ細やかさにも、感動。

お坊さんがうっかりミスでお茶をこぼしてしまったら、

すかさず心のこもった誠意ある謝罪&対処…。

そして私は更に、感動(T_T)。

その後は、一乗院副住職の佐伯公応さんの講話。

お坊さんは江戸時代までは妻を持つことが禁じられてたそうですが、

明治維新後、西洋の文化が入って来て、

政府から『そんな古臭い風習はナシ!』と、お坊さんも妻帯が解禁になり、

女人禁制だった高野山も撤廃。と同時に、今まで幕府からがっぽり、

今で言う研究維持費のようなものを頂いてたのが、

それをアテに出来なくなり、お寺も『経営』ということが必要となり、

それで『宿坊経営』が現れたんだそうです。

今の副住職さんが事情上のお寺の経営権を任されだしてから

(現在の住職は佐伯さんのお父様らしいですが、

全権を任されてはるようでした)、『本物の宿坊を』ということで、

先述のお料理にしても、お金と時間、そして気持ちを込めた料理だけを作り、

作れないものは外部の最高のものを仕入れ、

化学調味料ですら一切排除されたそうです。

また、お坊さんのきめ細やかなサービス(お接待)も、

こちらが申し訳なくなるくらい、行き届いていて…

例えば、大広間入口には一人のお坊さんがおられ、

私たちが脱いだスリッパを一寸の狂いもなくさっさっと

並べられておられました。

またお寺や宿坊の中の掃除も行き届いていて、

昔からの骨董品や絵画、襖絵なども絶妙な位置・バランスで置かれていて、

お寺らしい適度な緊張感と、私たち参拝者に対する

『おもてなしの心(やさしさ)』が館内に溢れていて、

深く感動いたしました。

他を追従させない以上のような宿坊経営で、

値段は高くても、ここ10年売上は右肩上がりなんだそうです!!!

そのようなお話しから、私たち若手経営者には

『他人がしないことをしないと生き残れない。

生き残る際に忘れてもらいたくないのが・・・

“損か得”ではなくて“正しいか間違っているか”を

判断基準に動いて頂きたいです。

いくら回り道してもそうして下さい。』

とおっしゃり、めちゃくちゃ納得!更に

『目標は大きくてもいいけど、それを叶えるための

小さい目標を手前に何個か設定しておいた方が叶いやすい』とか

『いい人脈を作ることも大切だが、わるい人脈を切ることも重要。

イキナリは難しいから徐々に熟慮しながら切るべし』等、

経営者の私たちは深く納得し、感動いたしました!

他にも『癒し』のお話がありました。

『何かに誰かに与えてもらうのが“癒し”ということもあるけれど、

わざわざ高野山まで来なくても“癒しの種”はあちこちに落ちている。

いかにそれが足元に落ちてることに気付くかが大切』ナドナド…

他にも子育てのこどたくさんありましたが、

長くなりますので割愛とさせて頂きます(-人-)。

私の家は先祖代々浄土真宗です(といっても、それを感じるのは

法事&お墓参りの時くらいデス・・・いわゆる無宗教一家)が、

浄土真宗、真言宗など宗教関係なしに、

佐伯さんのお話は普遍的で感動的でした。

その後は『え!これが宿坊のお風呂?!

ここ高級旅館みたい!!!』と

仰天するくらい綺麗なお風呂を満喫♪

そして、一人プラプラ宿坊内を散策してますと、

美しいお庭を挟んだ少し向こうにある庭に面したお部屋で、

私よりも少し年上っぽいお姉さんが、一人、庭に小さな机を向けて

静かに写経をしていました。

その姿はとても美しく、輝いていました。『生きること』に真剣に

向かい合っている感じがしました。

先述の佐伯副住職が『“生老病死” “愛別離苦”は、いつの時代の

人も変わらない真実。人は必ず死ぬ。生きる事は死ぬ事、

死を考える事は生を考える事。生と死は同じであり繋がっている』

とおっしゃっていました。

写経するのは276文字の『般若心経』ですが、その中に

『色即是空(しきそくぜーくう) 空即是色(くうそくぜーしき)』という8文字があります。

私はその8文字がの1番好きで、1番知りたい内容です

(そもそも全体の意味自体、あまり分かってませんが…汗)

私は翌日の質問コーナーで、おもいきってお坊さんに

その8文字の意味を質問しました。

研修生と名札に書かれていた若い方でしたが、

かなり的確に答えて頂きました。お坊さんの凄さを実感しました。

…業界でも解釈が統一化されていないことをまず教えて頂いた上、

(私の解釈もかなり入れてます→)“色”=この世の形ある“もの”全て、

または“欲”。“空”=からっぽ=見えない、無我の欲(無欲)。

つまり、まさに佐伯副住職がおっしゃった、生と死の

根本は同じ(ひとつながり)ということであり、“もの”も今は間違いなく

あるんやけど、形あるものは全ていつかは亡くなる…という意味で、

見えるもの、変わるものばかりに囚われない…

物事のうわべだけを見て、欲に流されすぎないニュートラルな、・・・

どちらにも偏っていない、生き方をしましょうという解釈を私はしてみました(^^)。

弘法大師さんなどの過去の偉人さんたちは、「なぞなぞ」のように、

いろいろなもの・ことを、この世を生きる私たちに遺していって下さり、

人に質問して教えて頂くものではなく、生きることを通して、

私たち一人一人が、それを実感して気づいていくことが

般若心経などのホトケサマの言葉なんでしょうね。

それに関連して、佐伯副住職さんも、凡人の私たちにとって

「悟る」ということは、「自分自身を知ること」

だとおっしゃっておりました・・・うーん。納得!!!

お風呂からあがった後は、寝る時間だったのですが、

周りの部屋にいた一部の男性の先輩方は、

正に色(欲・煩悩)のカタマリで(笑)、お酒片手にワイワイ騒いでて、

私とお姉さま方お二人は、“色オトコ”に呆れ、

うるさくて眠れなくてイライラしつつも、

『そんな“色”な心を理解し、あたたかく受け入れる、

心の器を広く持たないといけませんヨ〜と、

弘法大師サマか誰かから与えられている試練ヤ〜!??と

プラス思考でその事象を受け入れ、

「般若波羅密多心経…」とブツブツと般若心経を唱えながら

気づいたら爆睡してた、よしこちゃんでした(笑)♪

〜後編に続く〜