高野山でプチ修業〜♪ ★後編★

翌朝、5時半起床。なかなか寝れなくてテンション低くても、

本堂でお勤めが始まれば、ピシッ☆と

背筋のばして、ご焼香〜♪

が、朝食後の『阿息感(あそくかん・

真言宗の瞑想の方法です)』では、

瞑想どころか、完全に夢の世界に行ってしまい(-.-;)、

禅宗のお寺やったら確実に数回はバチッ☆と

肩を叩かれてたと思います。

瞑想後、男性の先輩たちが

『瞑想やなくて“妄想”なら得意なんやけどナ〜(ニヤリ。)』って

自慢げにアホアホ発言してましたが、

寝てて夢見てた私も同じくらい、まだまだ修業が

足らないなぁ〜と大反省いたしましたぁ…(*_*)。

その次は写経の時間デシタ。

これは過去何回かしたことがあるので、

フツーにいけました♪写経は私の場合、すればする程、

手足先の感覚が研ぎ澄まされていくので、かなりハマってます。

とにもかくにも、まだまだ修業し足りませんが、

これで一乗院とおさらばし、総本山・金剛峯寺に行きました。

私は四国遍路旅をした者として、88ヵ所回った後は

高野山に行くのがならわしで、私が持つご朱印帳は

高野山のページだけ空白になっています。

『せっかく来たんやから』と、ご朱印して頂くところを通った時、

持って行ってた私のご朱印帳を出そうと、

一瞬心が揺らいだのですが、やっぱり最後のご朱印は、

歩いて四国を回った後で、私の人生の最晩年の楽しみとして

取っておこうと、改めて誓いましたぁ〜(^O^)。

金剛峯寺でも、お坊さんの講話がありました。

一神教のキリスト教などでは、この世は神様が創造した・・・と

なっているそうなのですが、仏教では、

「この世は“縁”で出来ている」となっているそうです。

私は、かなり「なるほど〜〜〜〜!」って思いました。

人と人との出逢いも“縁”、人と物事、事象との出逢いも“縁”ですよね。

この発想はとっても日本人的ですよね。

後、感動したのが、この真言宗総本山・金剛峯寺のマークが、

神教のマークと仏教のマーク2つ合わさったもの

なんだそうです。

私はかいつまんで&ざっくりしか把握できてないと思いますが、

その昔、弘法大師さまが高野山の地で

真言宗の総本山を作る際、併せて神社も作ったそうです。

つまり、弘法大師さまが目指したのは、神教と仏教の共存

だったのではないでしょうか?

また、平安時代に、唐の国から真言宗を持って来て、

それ以前からあった浄土真宗などの仏教との目立った対立は

起こらなかったそうです。

それはなぜかと言いますと、古来の仏教に、真言宗をはめこんだカタチを取った

つまり、こちらも異なる仏教をの共存を図ったからなんではないでしょうか?

私は、この「共存」ということは、21世紀を生きる私たちもの

とっても重要なのではないかと考えています。

共に存在し、ともに尊重しあえる関係、これはいつも世も

身も心も平和に暮らすために重要なのではないかと思います。

そもそも「宗教」も、そう生きるためにあると思います。

温故知新という言葉の通り、これからも古典仏教からも

自己研鑽にはげみたいと思います。

つねに煩悩や睡眠欲などの欲との戦いですが・・・(笑)。

たまにだらだらしつつも、ピシッとしまりのある素敵な人になるために、

今後も、四国や高野山などにある、古くて新しい修業を取り入れつつ、

がんばりたいなーと改めて思いました。

よし☆今度は一人でコッソリ高野山にこもりに行くゾー(^◯^)!(笑)