慈眼寺は、昔ながらのお寺とは違って
塩沼亮潤阿闍梨(一千日回峰行という修行を満行されると
阿闍梨・あじゃりという称号が与えられるそうです)が
建立されたお寺のようですので、歴史が浅くて
なんか違うのですが、とっても雰囲気がいいです。
そこにある木々の一本一本まで
心のこもったメンテナンスが行き届いている感じです。
だから植物もとってもイキイキしています。
こんなところまで、住職さんの「想い」が
込められているんですね(%笑う女%)(%ハート%)
本堂に入った瞬間、ものすごくあり得ないこと、
思い浮かびました(%ショック女%)(%星%)
「ここ、吉野山 金峯山寺・蔵王堂や・・・!!!?」
昨年末、吉野山村にこもり、私が今最も好きなお寺
金峯山寺・蔵王堂にも
毎日のように通い、じーっと本堂で一時間くらい座っていたのですが、
そこの空気と、なんか同じなんです!!!
分かりやすく解説するならば、左上に掲載の
A4の紙に、奈良・吉野山の金峯山寺が左にあって、
右に小さく、慈眼寺を書いていますが・・・
その紙を半分に折りますと、
大きな吉野山・金峯山寺に、この慈眼寺が
すっぽり入る(重なる)んですよね。
こんな感じで、目に見える世界では、
吉野山と仙台と、離れた場所にありますが、
心・精神の世界(目に見えない世界)では、
同じ場所なんだと想いました。
ほんと、慈眼寺の本堂に入った瞬間、
「どこでもドア」で、吉野山・金峯山寺に
行ってしまった気分でした(笑)。
ほんと、塩沼住職さんは、忠実に本堂の伝統といいますか
精神を伝承されておられるお方なんやなーって想いました(%笑う女%)
護摩祈祷に参加する前に、木にお願い事を
書こうと想いました。
本当は、「塩沼さんの講演が大阪で出来ますように」と
書きたかったんですが、
お寺の方々に見られたら、
押し付けがましいので止めました(笑)。
で、右の紙を見て・・・どの願い事を書こうか5分くらい悩み、
やっぱり独身女子としては「良縁成就」やと思い、
それを書かせていただきました・・・
が(%ショック女%)(%涙%)
その紙の右はしに書かれていた、
護摩木のどこに何を書くのかを見るのを忘れてしまい、
表面には、名前と年齢しか書いてはいけないのに、
おもいっきり願い事を書いてしまい、ムンクの叫び状態!!!
間違ったからって、マジックなんで消せないし、
木、変えれないし、二重線ひぱって消して裏面に書いても、
「二重線で消す」という行為が=良縁成就しません・・・
なーんて、ホトケサマにカンチガイされても困りますし・・・
とまー、こんな感じで、路頭に迷ってますと、
お寺の方はこの異常な状態を察知されたようで
私のところまで来てくださり、「このままでいいですよ。次回からは
ちゃんと書いていただければ、いいですよ」と言われまして、
ほっと一安心いたしました(%ニコ女%)(%王冠%)
護摩祈祷は、90人しか護摩堂に入れないということでしたので、
護摩堂の扉が開く30分前の12:00から並ぶとして
まだ11時でしたので、一時間、本堂のはしっこに座って
ぼーっとしていました(%笑う女%)(%王冠%)
凛とした空気の中、気持ちがどんどん爽快になってきました。
また、時々入って来られる参拝者の方々も
チラチラ見ながら、人間観察をして頂きました。
このような場所では、人の「地(じ)」が特に出やすいので
見ていてとても勉強になります。
自分自身のことは殆ど見えませんが(そこで人って苦労してるんやと思います)、
自分以外の人(特に、利害関係のない赤の他人さま)のことは
「欲」という色眼鏡で見ないので、とっても良く見えます。
いいところは、見習い、逆のところは逆に見習いたいと思います(%ニコ女%)(%音符1%)
12:30、護摩堂の扉が開き、20番目くらいに入りました。
パイプイスに座ってほっとした瞬間、
グラグラと廻りが揺れ、誰かが「地震!」と叫びました。
後で知ったのですが、その時間に、福島県沖を震源地とした地震が起こり、
仙台は震度4だったそうです。
地震が来た瞬間は「震度2かな」と思ったのですが、
数十秒くらい後に、大きな揺れが来て、
後ろに座っていたおばあちゃんが「ひゃー!」って
私の背中に手を当ててこられました。
私は即座にそのおばあちゃんの肩に手をやって
「おばあちゃん、大丈夫ですよ。こんなとこ(仏様の場所)で
死ぬ訳ないですやんっ(%ニヤ女%)」って励まさして頂きました。
こんな想定外のことが起こった時、
人の本質が問われるかと思います。
だから普段から、心身の練磨をしておかなければならないと思います。
13時になり、護摩祈祷が始まりました。
昨日講演を聴いた塩沼さんが、手づくりでとても美しい、そして凛とした
白装束で現れ、ご祈祷がはじまりました。
塩沼さんがお経をあげ始めた瞬間、
仙台郊外だった場所が、吉野山のはるかかなたの山の尾根に
いるような心境になりました。
塩沼さんの強く、そして美しく澄んだお声が、吉野山の大自然に
響き渡り、地球の遥か彼方まで、光のように永遠と
飛んでいくような印象があり、言葉に言えない感動があり、
思わず、一筋の涙が。。。
鐘や太鼓、そして法螺貝(ほらがい)の音色も登場し、
「やっぱり、ここは吉野や〜〜〜〜!!!」って更に感動、感動でした。
アシスタント?のお坊さんが、太鼓を激しく早く叩きながら
その音に併せてお堂の中にいる90名の中で般若心経を
唱えられる人が、そのお坊さんと一緒に唱え始め、
塩沼さんが中央で、護摩を焚きはじめられました。
この時ほど、般若心経を暗記しててヨカッタと思った瞬間はありません。
だって、護摩祈祷が終わるまでだいたい一時間くらい
ずーっと唱えますので(200回くらい???)、より一体化される感じで
気分爽快でした♪
どんどん炎が上がってきて、ますますヒートアップ。
炎を見ると、普通興奮して、キャンプファイヤーのごとく???
ニコニコしてくるもんかと思いますが、
私は、なぜだか、なんだか、涙がどんどん出てきまして
アタマには「懺悔(さんげ)」という言葉がついて離れなかったです。
生まれてから今日まで、大きなことから、小さなことまで
数々の罪を私は犯してきました。
たとえそれが、警察につかまるものでもなかっても、
ちょっとした言動・表情・言葉で、さんざんいろんな人を
傷つけてきたり、人が見ていない・分からないからと
いろんな罪を犯して来た・・・本当にすいません・・・という心境です。
護摩木は、かなりあって、一番前に座っていましたので、
いろんなものがよく見えて、木に何が書いてあったかも見えました。
みなさん、何気なくそしてニコニコ生きていても、
いろんな悩みや苦難を抱えておられるんやな・・・
その悩みがこの護摩祈祷で薄らぐ、なくなることを
一緒に祈念させていただきました。
こんな心、洗われる時間を一週間に一度経験できる
仙台市の方々のこと、本当にいいなーって思います。
ご祈祷が終わり、塩沼さんの法話がありました。
いきなり
「こんばんは。あ、すいません。こんにちはでした。
今から言うことが全部抜けてしまいました・・・」と
今までの凛としたたくましい行者さんというイメージはなくなり、
普通の親しみやすいおにいさんって感じでした(笑)。