その家は築100年弱。
いたるところリフォームされていましたが
基本的なものはそのまんまでした。
今その家には、おばあちゃんの弟のお嫁さん
(=私の母の「叔母」)がお一人で暮らしています。
そこに一泊させて頂きました。
五右衛門風呂も現役で・・・
(さすがにマキで焚いたりはしませんが・笑)
トイレも外にあり・・・
(夜中3時に外に出るのは、ちょっと恐怖ですね・笑)
朝の洗面は、ナント☆外の湧き水で・・・。
昔の家は、気密性があまりなくって
まだ昨晩は風がなかったからよかったのですが、
かなり寒かったです・・・。
が、「ここが、おばあちゃんの生まれ育った場所なんや」と
めっちゃ感動でした!!!
おばあちゃんは、女学校を卒業するまで
18歳頃までこの家にいて、
いろいろ思うところがあって、田舎から出たいを思い、
父親の妹(叔母)を頼って、その妹が暮らす
大阪府八尾市にやってきました。
(その妹さんも、元々同郷に住んでいたのですが、
訳あって、都会に出て、八尾にたどり着いたようです。)
今のJR八尾駅北側にかつてあった、紡績工場で
働いていたのですが、給料などの待遇が悪かったらしく
アベノのスナックかクラブか・・・夜の仕事に転職し、
そこで千葉にルーツのある、おじいちゃんと出会い、結婚。
大阪平野区の鉄工所の職人さんだった、おにいちゃんは
第二次世界大戦時代、国の命令で、中国(当時日本の植民地)にあった
軍需工場に行き、そこで結核にかかって、終戦直前に亡くなってしまいました。
戦後の混乱の中でも、おばあちゃんは
がんばって子どもを育て、内縁の夫もゲットし、
私の母親も立派な大人に成長し、そして就職先で
八尾の私の父親と出会い結婚し、母が八尾にやってきました。
そんな感じで、私の父親の家系は、ずっと八尾市。
母親の家系は、祖母の時代から、ご縁のある町で、
なんだか『運命』というものを感じますね(%笑う女%)(%ハート%)
78歳になる、母親の叔母の百恵さんは、
右足が少しわるいようで、ちょっとぎこちない
歩き方でしたが、アタマの回転が速い!!!
岡山の方言バリバリで、現在過去未来のお話を
どんどんしてくださりました(%笑う女%)(%ハート%)
私のおばあちゃんには、姉と弟(百恵さんの旦那さん)が
いましたので、百恵さんの息子さん・娘さんが(私の叔父と叔母)が
この家を未来に継いでいってくださるかと思います。
だんだん『血(つながり)』は薄くなっていきますが、
その場所は私の、4分の1のルーツであることは
まちがいのない事実です。
その家の上には、その先祖代々のお墓が
ずらっと並んでいて、おばあちゃんの両親、祖父母、
そのまた上の代まで、ちゃんとありました。
(百恵さんの時代で、分家して4代目になるそうです)
お墓を眺めておりますと、
私が産まれるずっと前から
『私』というものが存在していて・・・
また、おばあちゃんやそのまた上の方々が
あの世に行った後も、私や、百恵さんの子や孫、
そして曾孫にも、『ご先祖さま』が生き続けているんやな・・・って
時代のダイナミックさを感じ、かつて生きていた、
墓石に刻まれた方々の活き活きした人生が蘇るとともに、
今、私がこうして、ここで生きていることに
運命的な、そして奇跡的なものを感じ、深い感動を覚えました。
毎日、日常生活に追われて、
せっせと前を向いて生きていくのも、とてもたいせつなことですが、
こうしてたまに、自身の「過去」・・・
産まれるずっと前の「過去」を遡るのも、なかなかオツなもんです。
ということで、おばあちゃんの田舎から、自宅まで
240キロ・4時間弱で今日の夕方、帰ってきました。
この12月1日で、私の会社も6年目に突入します。
お遍路さんもしたし、また、新たな気持ちで、スタートできそうな
ちょっといい心境です(%ニコ女%)(%音符1%)
百恵おばちゃん、本当にありがとうございました〜(%笑う女%)(%ハート%)