12月4日(土)朝11時半から、
叔父(父の兄)の一周忌法要が
自宅より徒歩1分のよころにある
「おもや」で催され、大橋家が集合しました(%ニコ女%)
おっちゃんがなくなって、はやいもんで
1年が経ちました。
私の父は三男で、昨年なくなったおっちゃんが
長男だったため(おっちゃんの妻・おばちゃんは
2年半まえになくなっています)、
大橋家本家では、いろいろ変化がありました。
その変化はいろいろですが、
その中のひとつは、おっちゃんの孫
(私から言うと、いとこのおねーちゃんの子ども)が
結婚・出産したことでしょうか?
去る命あれば、来る命もあり。
ほんと輪廻転生、ですね・・・(%ニコ女%)(%音符2%)
法要の後は、昼食を囲みミニ宴会(%ニヤ女%)(%音符2%)
私と兄は、昼食のお弁当が用意されてなかった為、
母がお小遣いをくれたんで、車で美味しい
回転寿司屋さんへ♪ついでに兄が靴を買うと
言ったんで、靴屋さんに寄りました(%車%)(%星%)
帰宅後また「おもや」に行きますと、
私の父が、おっちゃんのいとこの愛称「いわまっちゃん」と
お酒入ってワイワイ昔話しで盛り上がっていました。
私の祖父は6人兄弟で、姉5人+おじいちゃんだったそうで、
その姉5人が、いろんなところに嫁ぎ、
バンバン子どもを産んで(一人で最高9人産んだ人がいます!
全員生きて大人になりました!)
ですので、父の「いとこ」がたーくさん周辺におって
いろんな登場人物が出てきて、よく分かりませんでしたが
聞いてて、本当に楽しかったです(%笑う女%)(%ハート%)
私が産まれる前の、老原村の「ドキュメンタリー」といいますか
「サスペンス」といいますか「ロマンス」といいますか、
それ系のお話しは、めちゃくちゃ滑稽で、何だか感動もんです。
例えば、上記の「いわまっちゃん」は、70後半のおじーちゃんで、
昨年亡くなった叔父と2つ違いで、叔父ともう一人のいとこと3人で
「わるガキ トリオ」でつるんでたそうで、
ある日その少年3人が、私の祖母が植えていたスイカが食べたいと
思ったそうなんですが、祖母から
「スイカは採るな!」と言われてたそうなんです。
そこで3人は、採るのではなくって、なっているスイカを
つるがついたまま、ガブッとかじりついて食べたそうで、
後で、祖母からおもいっきり怒られたそうデス(笑)。
後、その「いわまっちゃん」の母は、『たまご売り』だったそうなんですが、
そのたまごを、上記3人で近くの川に投げまくり
割って遊んでたそうです・・・これも後で、怒られまくったそうです(笑)。
ちなみに、その『たまご売り』の母は、いろんな村にたまごを売りに行く傍ら、
いろんな村々の独身男女の仲介もしてたそうで、
私の叔父2人も、その人によって、結婚相手を見つけたとのこと。
そのおばちゃんはボランティアでなく「ビジネス」で
仲介をしていたそうで、商談成立(結婚)したら当時の金額で
3〜5万円ほど、そのおばちゃんに支払ったそうです。
ちなみにそのおばちゃんの家に、私の母が八尾に嫁いでしばらくして
行ったそうなんですが、そのおばちゃん、
ナント☆畳の下に亀壷を置いてて、その中からお金を取り出し
ニヤニヤと、枚数を数えていたそうで、この話しはめちゃくちゃ爆笑モンでした・・・
「ホンマにそんな人がおるんねんな〜〜〜!」って軽い衝撃デシタ〜(笑)。
ま、亀壷で札束云々は、単なる笑いネタですが、
もしもそのおばちゃんが生きていたら、
えー人、仲介して頂きたいもんデス(これも単なる笑いネタ? 笑)(%ニヤ女%)(%ハート%)
最後に、おそなえものを女性陣全員で
手分けして、30袋に分けて、
各ご家庭に持っていきました。
みんなで何度もやってますと、
だんだん早くできるようになってきます♪
ナイス☆“チーム大橋家”(アッパレ☆)
今度みなさんと会うのは、おばちゃんの3回忌か、
おっちゃんの3回忌か、全く記憶にございませんが、
今後また大橋家大集合の時には、
大橋一族の『風土記』を記憶に残しておきたいデス(%笑う女%)(%王冠%)