12月18日(土)。倫理法人会の大先輩から、
日ごろ何気な〜く見聞きしている日本の国旗と
国家『君が代』が出来た経緯を
お伺いする機会がありマシタ〜(%笑う女%)(%ハート%)
まず『国旗』ですが、白地に赤丸ですが、
ちゃんと右上の図のように、比率が決まってるそうです(驚)!
で、『赤丸=太陽』なんやそうで、太陽は全ての生命エネルギー
(人間含む生命全てが生きる為に必要なもの)の象徴なんだとか…。
世界の子どもたちに、太陽を描かせたら、日本の子どもたちだけ、
真っ赤に描く子どもが何人もいるらしく、
それは国旗の影響を無意識のうちに受けるんやそうです。
で白地は、清浄・純白・無垢さを象徴しているとのこと。
国旗という私たちのシンボル(あるべき姿)は、
『生かして頂いてるモノに感謝しながら、ピュアに生きていきましょう』
ということでしょうか(^^)☆
ま、国旗はだいたい予想出来てた範囲内やったんですが、
国歌が凄かったw(゜o゜)w☆☆☆
昔むかし…都が奈良から京都に移って57年くらいした時、
「左衛門」という人(昔は特権階級以外は名字はなかった)がいたそうです。
左衛門さんは、木から器などを作って、朝廷などに献上する人で、
それを作る為に時々山の中に入って木を探して採る『生地師』やったそうです。
ある日左衛門さんが、滋賀県の伊吹山に入り、木を捜してますと、
朝日が昇りはじめ、その光りが小川に反射し、
それが大きな苔つきの『さざれ石』に写し出され、
なんとも言えない、幻想的な美しい風景やったそうです。
普通『石』は、水に当たれば当たる程、丸く小さくなって行くんですが、
『さざれ石』(学名「石灰質角礫岩」)は、小さな石の集合体で、
石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、
そのときに生じた強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に大小の石を凝結して、
時間が経つにつてだんだん大きな石となり、
河川の侵食作用により、地表に露出したものだそうです。
その風景に感動した左衛門さんは・・・
『わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで』
という歌にして、親交のあった朝廷のまわりの方に渡し、
その歌がいい!と当時の文徳天皇の
息子・惟喬(これたか)親王(844〜897年)の目に止まり、
古今和歌集に『読み人知らず』で掲載されたそうです。
いい歌にも関わらず『読み人知らず』はアカンやろ〜!ってこととなり、
えらいさんが『藤原』という名字を与え、
『藤原石位左衛門』という名前になり、今でも藤原さんのご子孫が
伊吹山近くの春日村におられるとのこと。
これが今からナント☆1200年くらい前の真実ですw(゜o゜)w
その後、『わが君は』を『君が代は』に変えられ、
ぼちぼちと日本各地に伝わり、やがて薩摩藩(鹿児島県)にも
小唄として伝わってきました。
明治2年、西洋列強にはある「国家」を日本でもつくろう!
ということになり
薩摩藩のあるえらいさんたちが、そのの選定にあたり、
日頃愛唱していた『君が代』を選んだそうです。
曲ははじめ、お抱えの西洋人の作曲家にお願いしたそうですが、
日本人にはなじみのない西洋のメロディーは受け入れらなくて
林広守という雅楽師にお願いして、日本人になじみ深い「ビワ調」の
メロディーで作り直したのが、今のものなんやそうです。
で、明治26年8月、明治天皇により正式に国家として
『君が代』が決まったんやそうです。
生前、浪曲師・三波春夫さんが
「『君が代』は、大衆歌謡曲の傑作の中の傑作だ!」と
大絶賛されてはったとのこと。
ちょっと前の『昭和の名浪曲師・曲』が時代を超え、
平成の世の中でも受け入れられているように、
ホンマモンの名曲は、時代をいくら超えても、歌い継がれてって
私たち日本人のDNAにどっぷり入っているようですね。
日頃、なにげなく歌っている国家に
こんな壮大な歴史ロマンがあるとは、感動的でした。。。
今まで生きていた方々の膨大な過去の蓄積があって
今日の繁栄があるねんな・・・と改めて、深い感動を覚えました。
昔のもの・古いもの=わるいものなんて、全否定するつもりはありません。
いいものは、古いものでも新しいものでも、
心の中に残して、『君が代』の中にある、
“ホンマモン”の意図(日本人の『真』(芯・信・心)のあるべき姿)を
しっかり捉えて、生きていきたいと思いましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)