“ごろごろ娘。” (!?) 前編

12月20日(月)お昼前。

朝、用事をさっ☆さっ☆と終らして、車に飛び乗り

一人やけど、ワイワイしながら?奈良・吉野方面へ(%笑う女%)(%ハート%)

途中、大淀町の道の駅にて、せんとサンタクロースくんを発見っ(%ニヤ女%)(%ハート%)

前、せんとくんを見たのは、奈良ロイヤルホテルでの

滝行してる彼でした・・・彼も、多忙な毎日をお過ごしのようです(笑)。

その道の駅の中の情報案内所に

右の地図がありました。

私が暮らす八尾(赤丸)が、地図の右上です。

光っている道は、国道309号などです。

この昔からある、一本の光の道を辿ってみますと

吉野(天川村など・黄色い○印)に到着します。

以前のブログでもお話しいたしましたが、

96代天皇で、南北王朝時代の、後醍醐天皇(1288-1339) が

京都を追われ、吉野にやって来て、南朝を作った時代・・・。

私が今暮らす八尾(河内の国)は、肥沃な土地で

しかも武器づくりが盛んな集落でしたので

そこの部族か個人かは分かりませんが、後醍醐天皇をお守りするためか

その天皇を守る楠木正成などの為か・・・かなりの人が

河内から吉野に移ったようです。

結局、後醍醐天皇は病に倒れ50歳で死去。

楠木正成なども自害。

それらの護衛にあたっていた方々は、「平家の落ち武者状態」(?)で

現在もその末裔が、吉野郡川上村あたりにおられるそうで、

だから川上村では、生粋の河内弁が今でも残っているとのことです。

現代人の私たちが、想像しているよりも遥かに

昔の日本・日本人は、もっと豊かに、そしてダイナミックに

人生を謳歌していたのかも知れない・・・って

最近、こんなお話を聞いてとてもよくかんじます。

もしかしたら、私がこんなに吉野がお気に入りなのも、

私のずーっと先のご先祖さまに、河内の国から

吉野に行った方、もしくは吉野から河内に来た方がいて、

その『血(DNA)』が、私を吉野に呼ぶのかも知れませんね・・・

なんか、言葉では表現できない、感動があります・・・(%ニコ女%)(%王冠%)

よしこちゃんのパワースポット☆

吉野山の金峯山寺・蔵王堂へ・・・(%ニヤ女%)(%星%)

拝観料400円払って、中へ・・・。

本堂の畳の上に正座して座ってますと、

すーっと「なにか」が抜けて、心が「空っぽ」になって

快い風が、心にさーっと吹き抜ける感じがします(%ニコ女%)(%王冠%)

ここは、何時間いても、飽きないですね。

それから、てくてく歩いて吉野山の郵便局で

奈良・吉野ならではの「萌え〜☆切手」と

年賀状をごっそり購入し、

おもいっきり閑散期の吉野山郵便局の販売功績アップの

貢献をさせて頂きました〜☆(笑)

それから、またてくてく歩いて、

過去何度かこのブログでもご紹介させて

頂いております定食屋さん「静亭」さんへ・・・

<つづく>(%笑う女%)(%ハート%)