鹿児島県南九州市 『知覧特攻平和会館』 へ 前編

12月28日(火)正午。

『知覧特攻平和会館』 に着きました。

私はここに、ずっと来たかったんです。

こんな言い方すると、かなりヘンですが、

“呼ばれている”ような気がしました。

年末ということもあって、

会館は老若男女たくさんおられました。

特に若い人が結構いて、

まだまだ日本も捨てたもんじゃーないなーって

まず感動いたしました。

会館の外には、右のような燈籠が

たくさん置いてありました。

道沿いにもたくさん並べられていました。

どうやら、この数は、特攻隊で散っていった

若者の数くらいありそうです。

燈籠をよくよく見ますと、

上半身の兵隊さんがおられます。

下半身がない意味は、未だに亡くなった方の

親族が見つかっていないとのことです。

私は会館に入る前から、なぜか涙が

止まりませんでしたし、

会館の中の特攻隊員のたくさんの遺書を見てる

方々もあちこちですすり泣く人がおられました。

だけど不思議なことに、そこって全然暗くないし、湿っぽくないんです。

その会館&その周りが。

清清しい凛とした・・・しかも慈愛に満ちた空気・雰囲気なんです。

これがまず不思議でした。

青春真っ只中の若い男性の特攻隊員が

国の愚かな戦略で死んでいった・・・

しかも喜んで死んでいったって、今まで私は

旧日本国の愚かな教育者(軍人)が

「国・天皇の為に死ぬ」とかって、うまいこと洗脳教育をして来たんかな?

そう思っていました。

ある面からはその通りかと思いますが、

彼らの心(根本)には、自分を産んで育ててくれた母親をはじめ

父親、祖父母、兄弟、恋人などを本当に愛していて大切にしていて

(今の私たちには想像できないくらい、強固で絶対的な信頼関係が存在した)

その人たちを守りたい・・・自分が人柱になるんだ!という

自分の命と引きかえに、大切な人を守りたい・守れる!と

信じて疑わなかった、純粋無垢な青年たちだったという事実です。

彼らにとって、身近な大切な人=国家であり、天皇であったのです。

全てがイコールだったんです。

今の日本人には、なかなかこの価値観が薄くなってしまいましたが・・・。

これは戦後、日本を一時支配したGHQの思惑でしょうか・・・?

日本人が一致団結したら、めちゃくちゃ恐ろしい!と思い、

日本人を“我欲”に走らせ、個人主義という名前の勝手主義や、

調和よりも競争に偏らせる資本主義やらを・・・

はたまた、自分自身で物事を判断できず、他人・他者に依存し、

思考回路を破壊され、家畜のように欲に任せ

不平不満のパワーを消費行動で解決しようと専念する

日本人が、あふれてしまいました。

私も20代まではその人間の一員でした。

そんな“ウイルス”をばらまいてしまって、

日本人がまんまとそのウイルスに感染してしまったんやと思います。

その結果が65年後の日本人の散々たる有様です。

だけど、ようやくその“ウイルス”の免疫が

日本人の体内に形成されはじめ、

『本来の日本人の魂(DNA)』が戻ってきた人が出始めました。

だから、この知覧にもたくさんの人が集まって来て、

その人たちが、ここで涙を流すのだと思います。

その涙は、その人、その人の先祖(戦争時代を生きた両親祖父母など)、

そして玉砕していった若者たち、全ての罪を昇華していくもの・・・

お墓で言うと、墓標の上から水を流すようなものかと・・・。

(チョット宗教っぽいですね・笑)

この涙の現象は、今の日本で一筋の光・希望だと確信しています。

まだまだ数は少ないですが、みんなバラバラで

世直し運動するのではなくって、みんなで調和して

一つにならないといけません。

ま、とにもかくにも、彼ら特攻隊員は

悠久の日本の歴史の中で、培われた日本人の最も崇高な生き方を

特攻隊という、最も残酷な死に方の中で全うしたのだと、私は考えました。

だから彼らの死に様は美しかったと思います。

もしかしたら、究極の死とは、生(産まれること)と

同じくらい・・・いや、死ぬことの方が崇高で

素晴らしいのかも知れません。

そう思うと、ちょっと死ぬことに対しての恐怖が薄くなります。

ほんま、彼らのようにいい生き様=死に様をしたいものです。

その最も崇高な生き方を、一言で分かりやすく申しますと

『武士道』だと思います。明日帰りのフェリーで読むために

『武士道』の本を既に買っております。

<つづく>