豊重さんは塾の最後に…
『俺は、人生において、お金も地位も名誉もいらない。
この村の、この国の幸せだけを思って、
これからも実践し続けていく。
『豊重哲郎』がこの国に100人出来れば必ずこの国はよくなる。
みんなも是非、そうなって欲しい。
俺は500人の塾生を作るまでは必ずこの塾をやり続ける。
やねだんでもっと稼いで、塾代を無料にしたい。
今の参加料5万円でも足らないから、
やねだんのおじいさんおばあさん達から出して頂いている
…本当に申し訳ないんです。
…是非みんなで日本をよくしていこ!!!』
って、涙ながらにおっしゃられていました。
ほんまホトケサマのような『己(欲)』が限りなくゼロの人です。
こんな方、ナマで見たのん、奈良・大峯山の
大阿闍梨(だいあじゃり)の塩沼亮潤さん以来2人目です。
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人間の究極の目標は、豊重さんのような方だと私は
‘掴んで’八尾に帰って来ました。
『今生きてる人で、よしこちゃんが目指す人は?』
と聞かれたら、間違いなく豊重哲郎さんだと答えます。
この日を境に大橋良子の人生の、
一つの目標は『豊重哲郎さんになること』になりました。
![](/img/uz42837/FI1946887_1E.jpg)
怒涛の塾が終る前後から、やねだんの方々が、
今回の震災に遭われた方々に寄附した
軽自動車『やねだん号』がお披露目されました。
かなり長文になりますが、この『やねだん号』の一連の流れを通して、
この地区の素晴らしさを是非ともお伝えしたいと思います。
やねだんが、地元メディアから『ニュース23』や、
『報道ステーション』等の全国ネットで放送され始める前から、
全国・世界各地からやねだんに視察が来て、
しかも豊重さんが全国各地から呼ばれ、講演にも行かれています。
その過程で、東北地方を中心に子どもたちのための
NPO活動(NPO法人全国コミュニティライフサポートセンター)
をされてはる方と出会い、
その方から『震災に遭った子どもたちの為に、
絵本やおもちゃが欲しい…それを持ち運びできる自動車も欲しいです。』
という要望を受け、豊重さんはやねだんの町内会議で提案、
了承を得て、中古の軽自動車を10万円で町内会費にて購入されました。
![](/img/uz42837/FI1946887_2E.jpg)
この軽自動車、本当は20万円だったそうですが、
中古屋さんが『そんな車でしたら、半額でいいです。
私も応援させて下さい!』と10万円になったそうです。
車が納品され、『やねだんらしい車にしたい』と、
やねだんに移住して来られた、芸術家たちが側面に絵を描かれました。
やねだんには、空き家対策・村の活性化として、
『迎賓館』としてリニューアルし、破格の優遇策を追加、
そこに外から7人の芸術家がやって来ておられます。
また、私たち塾生が8班に別れ、やねだん号が
5月1日、無事仙台(空港)に着くように、
それぞれ課題が与えられ、私が所属していた班は、
やねだんから全国に散らばる塾生(1〜8期の塾生)の有志が、
バトンリレーするべく、やねだん号を運転する最初の式典に使う、
やねだん号の鍵の引き渡し式を盛り上がる為に
必要な大きな鍵を作成しました。
![](/img/uz42837/FI1946887_3E.jpg)
最初は時間と費用(コストゼロ)ということで、
段ボールとアルミホイル等で作成したのですが、
塾長から『これでは仙台に着いた後に破棄されてしまう』と却下(-.-;)。
で、やねだん在住の芸術家の方々にお願いし、
たった一時間で、ベニヤ板で綺麗な鍵を作って頂きました。
他の班は、『どうすればやねだん号のガソリン代が、
運転手の方だけの負担にならなくて済むか?』
『仙台までの道のりで、どうすれば募金や絵本などを
よりたくさん頂けるか?』等、
みんなで手分けして考えて、発表し、
よいアイデアは採用されていきました。
<つづく>
![](/img/uz42837/FI1946887_4E.jpg)