「大坂」 歴史探訪まちあるき 1

6月18日(土)午後。曇り時々雨。

大阪府倫理法人会のみなさまと一緒に、

オモロイなにわのおっちゃんこと???

「大阪案内人」 西俣稔さんが案内する

大阪の歴史探訪のまちあるきに行って来ましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)

今回歩いたのは、右地図の赤丸から赤丸・・・

地下鉄千日前線「桜川駅」(汐見橋駅)→

阪神なんば線「福駅」までの約6キロです。

だいたい、阪神なんば線沿いを通りました。

持って歩いたのはこの古地図→

1885年(明治18年)の地図で、

西俣さんの手で、1909年(明治42年)に開削された

新淀川の線が一直線に書かれている地図です。

先日の、大震災・大津波を受け、

かつての大坂も、幾度と無く地震や洪水の被害に

悩まされてきて、それを先人たちの智慧によって

克服して来た「軌跡」(奇跡?)を辿る・・・遡る旅であります。

旅のスタートは、桜川駅近くの「幸町」。

豊臣秀吉が大坂城を中心に天下をとった時、

大坂は天下の台所として繁栄を極めていました。

その時、城下町の区画整理や住所もちゃんとしたとのことで、

ここらへんの城下町は、一丁目・二丁目・三丁目・・・と

数が多くなる程、お城から遠ざかっていくように

数が決められていて、その名残が今もちゃんと残っているそうです。

ちなみに、「●●筋」(例:御堂筋)は、南北の道、

「●●通り」(例:中央大通り)は、東西の道なんだそうです。

で、ここの「幸町」の名前の由来ですが・・・

ここらへんは、かつて低湿地帯だったそうで、

頻繁に、水害に悩まされていたそうです。

プラス、昔は船で何でも物を運ぶシステムでしたので、

縦横無尽に水路(川)を作りたいという思惑もありました。

江戸時代の1615年、東横掘川と木津川をつなぐ

バイパスとして、道頓堀川が完成。

そのおかげでこの地域はますます繁栄したのでした♪

で、この地は「幸せになりますように」と

「幸町」と先人達は名づけたんだそうです。

ほんと、地名にも「魂」が宿っているんですね(%笑う女%)(%王冠%)

しばし歩くと、古い材木屋さんや

ペンキ屋さん、建具屋さんがマンションの間に

結構ある通りを歩きました。

道頓堀川が出来てから、川沿いに

このような材木屋さんがたくさんできたそうで、

この地域はその名残も今も残しています。

私の父方の祖母も、若い頃、ここより少しナンバ寄りの

材木問屋で、丁稚奉公していたんだそうです。

だんだんと、見えない昔の「糸」が

繋がって参りました(%笑う女%)(%星%)

またまた少し歩くと、ガレージの向うに

高さ5メートルくらいの防波堤が。。。

<つづく>