私がかれこれ7年以上も前から参加している
「NPO法人八尾市活き活き会議」
(八尾を活き活きさせよう!という
名前、そのまんまの会・笑)で、
『ふれマガ』(ふれあいマガジン)という
これまたベタな(笑)名前の、八尾の情報誌を
“八尾市委託事業”として、発行しており、
私は、その担当者をしています。
なんせ人材&資金不足なNPOなので(涙)、
企画から取材、編集・印刷から広告費の回収まで
なんだかほぼ全部、自分がこなしてる状態なのですが(%ショック女%)(%涙%)
この『ふれマガ』作成の、何が超オモロイかと言いますと、
産まれてこのかた34年経っても知らなかった
八尾のオモロイこと、ステキなことが
この『ふれマガ』を通して見えてくることが、
やみつきになる「面白さ」がありますっ(%笑う女%)(%ハート%)
今日は、八尾市の離れ小島(?)
「竹渕(たけふち)地区」の歴史探訪の記事を
書いて下さった、八尾の歴史研究家であられます
Sさんの『ふれマガ』の為に
作成してくださった記事に出てくる場所を、カメラ片手に
マイカーに乗って探しに行きました(%車%)(%ニコ女%)
竹渕地区のみ、「大阪中央環状線(中環)」の西側にある八尾市。
他は全部中環の東側にあります。
これは長い歴史の中で、八尾市形成の「七不思議」っぽいですが、
竹渕の人いわく、「ご近所の仲良しの村が、八尾市に編入したから
この地区も八尾市になったのでは?」という説が有力っぽいですが、
なんせ何人かの人にさらっと聞いただけですので、
未だ確信はございません(%とんかち%)(%痛い女%)
だけど、昔は、そんなかんじで、いい意味で「適当」だったのでは
ないでしょうかね(%笑う女%)(%王冠%)
今回の撮影スポットは3つ。
まず、外の人間でもすぐ分かる、「竹渕神社」。
さーって☆写真撮るぞ!って思ったら、
周辺一体が『駐車禁止区域』っぽくって、
道にコーンや簡易の柵などが
ものすごい勢いで周辺に置かれていたので
なくなく徒歩500メートル離れた、
八尾中央産業クラブ&中小企業家同友会、そして
この八尾市活き活き会議の仲間のおじさま・東西田さんの会社に
マイカーを置かせてもらいにいきました(%ニコ女%)(%音符1%)
すると、奥様が会社から出てこられ、
「竹渕は道が狭いから、車はここに置いて、
ママチャリ貸してあげるから、これで撮影しに回っておいで〜」って
超やさしいお言葉を頂戴し、感動しつつ、
奥様のママチャリで、普段ほぼ100%来ない
竹渕の町をぶらり散策〜♪(地図も下さいました!!!感激っ☆)
第二の撮影ポイントは、
「永代橋」という昔の橋です。
(永い代まで、町(子孫)が繁栄しますように・・・
という先人たちの想い(愛)が伝わってくる名前ですね・・・ウルウル。。。)
今は、細長い公園の中にありますが、
東西田さんのおかあさん曰く・・・
「あそこは昔、細い川やって、私が嫁に来た頃は、
よく水があふれ、洪水し、だからそこらへんに住む人たちの家は
上にちゃんと寝る場所を作っていたんよ〜。
今では、ちょっとずれた場所に、
川幅が広く、堤防もちゃんとある『平野川』ができて、
それ以降はほぼ洪水被害はなくなったんよ。」
・・・ふむふむ、なるほど。。。
先人の並々ならぬ想い(執念&努力)が
感じられる橋ですね。。。
現代のほぼ、洪水とかなしのありがたい状況って、
こんな先人たちの幾百千に積み重なった無数の「命」の上に
成り立っているんですよね。。。言葉では表現し尽くせない
万感の想いを抱かずにはおられません。。。
第三(最後)の撮影ポイントだった、
「馬洗い池の由来の碑」が・・・ない。
何人かの方に聞き込みをしても、
さっくり覚えている人にしか分からないほど、
マイナーな場所にあるようで・・・(%とんかち%)(%痛い女%)
その聞き込みした中で、私が地図広げながら
自転車に乗っているとわざわざ向うから話しかけてきてくれた
おじいさんがいて・・・曰く・・・
「その碑がなんで出来たかというと、昔、
そんな大きくはないねんけど、池があって、そこを埋め立て
土地を売り、そのお金で『竹渕会館』(公民館)を建てたんやでー。
昔、大阪冬&夏の陣で、このあたりは戦場になったんやけど、
関東から来た兵の馬たちの足をここで洗ったから
こんな名前がついているねん。」って、
Sさんの記事に書いてない史実を、あっさり教えて頂き、
かなりビックリっ(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)
さすが、竹渕の生き字引的お方ですねぇ〜(アッパレ(%笑う女%)(%星%))
最後、そのおじいさんと別れ際・・・
「おっちゃん、ヒマ持て余してるから、またべっぴんさん見つけて
話ししとくわー(%笑う男%)(%ハート%)」って、
アンタ! ホンマ!! オモロイ!! オッチャン!!!!でんなぁ〜!!!!!
って感じデシタ〜(アッパレっ☆『河内のオッサン』・笑)
なお、東西田さんのおかあさま、なーんて・・・
「竹渕は、池も何個かあったそうやけど、竹やぶが多かったらしい」
・・・ああ(%星%)
だから、「竹」がつく地名なんですねぇ〜!ここは〜っ(%星%)(%星%)(%星%)(%星%)(%星%)
なお、おばあさま曰く、
東大阪出身の政治家「塩ジィ(塩川正十郎氏)」の塩川一族が
ここに住んでいたそうで(今も住んでいる。昔の庄屋さん。)
大阪冬&夏の陣の時、この庄屋やその近くの光正寺で
豊臣一族をかくまったという説もあるそうです(ホンマカイナ〜???笑)
何代も前のことなので、史実ははっきりとは分かりませんが、
(すでに「まんが日本昔ばなし」状態???笑)
現代を生きる私たちが、いいと思うように
勝手に解釈するのもアリかなぁ・・・と(ニヤリ☆)
果てしない無限の宇宙や、未来と同じく、
果てしない未知なる「過去」にも夢やロマンを
求めてもいいのでは・・・?
なんだか、そんなこと、感じました・・・(%笑う女%)(%王冠%)
残暑厳しい中、「馬洗い池の由来の碑」を探している時に、
『甘党まえだ 八尾店』を発見し、
おいしそうなかき氷を食べている
竹渕のマダム(河内のオバチャン・笑)たちが見えて・・・
「ああ、私もこの碑を探し出したら『自分へのご褒美』として???
ゼッタイ、ここで食べるぞ〜(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)」って
誓いをたてますと、
「八尾市役所の出張所(コミュニティセンター)の人に聞けば?」と
チョー有益な情報を教えてくださる人と出会い、
そして私は出張所の人より、その碑のありかを的確に
教えて頂けたのデシタ〜(%ニヤ女%)(%晴れ%)
その碑は偶然、かき氷のお店の近くにあり、
かえりしな、カルピス味のかき氷を、ガッツリ☆マンキツ〜♪
さすが有名なお店で400円もするだけあり、
ふんわりやわらかい・・・なんだか夏の入道雲に
カルピスをつけて食べている・・・そんな
ふ〜んわりして、あまーい、美味しい気分デシタ(%笑う女%)(%王冠%)
なんだか、ここで「入道雲」を食べて
『よしこちゃんの34歳の夏は終った』・・・って感じデス (フッ・・・。感無量)
・・・もっとすんなりと、撮影場所が見つかって終るかと思いつつ、
結局、めっちゃ時間がかかってしまいましたが(涙)、
大回りした分、いろんな気づきやすてきなもの、人に出会え、
また一つ、八尾のすばらしさ&面白さを発見できて
本当に今日もいい一日でした。。。
竹渕のみなさま、
ありがとうございましたぁ〜!!!
34歳の秋も、おもいっきり人生、
『完全燃焼』するゾ〜〜〜〜〜 ワーイ(%笑う女%) ワーイ(%笑う女%) ワーイ(%笑う女%) ワーイ(%笑う女%) ワーイ(%笑う女%)