26日・27日の歩きお遍路旅レポート 後編

26日夜は、39番さん側の、「民宿 嶋屋」さん。

アットホームな民宿らしい作りと、

お風呂の小さな富士山の絵(笑)、

そして、ご両親の後を4年くらい前に継がれたという

元・銀行マンの2代目のおじさまとの

ほっこりしたトークが印象的な民宿でした!

泊まり客は、私しかいませんでしたので、

ひたすら夕食時はおじさんと、2時間はお話したと思います。

おじさんは、食堂横の台所の椅子に座って、

大好物であろう、大きな紙パックの冷酒を呑みまくりまがら(笑)、

私の歩きお遍路体験をあれこれ聞いてきはりました。

おじさんは車遍路は数回されたことがあるそうですが、

歩きはないそうで、それで興味がおありなのと、

娘世代の人間(私)が、なんで&どんな想いで

お遍路さんをしているのか・・・とても興味がおありのようでした。

(といいますか、いろんなことに、興味がおありの、

めちゃくちゃフレンドリーなおじさまでした!)

私は、おじさんの、銀行マンとしての壮絶な半生が

もっとも印象に残っています。

「お金」という、人間の煩悩が最も集まる場所で

生き抜いて来られたお姿は、本当にすごいなぁ・・・と感じました。

そして「お金」って、人を幸せにする道具であり、

そして、不幸にもするものであるあるんやなぁ。。。と思いました。

今は、そんな煩悩とは対照的な清らかな場所で

働いておられ、いろいろとご苦労がおありのようですが、

等身大で楽しく人生を謳歌されておられる感じでした・・・お遍路さんと共に。

そのような、おじさまのような方のおかげで、

私たちお遍路さんは、楽しく&元気に周らせて頂いているんやなぁ・・・と

改めて、民宿を営んでおられる方々に対して

感謝の気持ちがあふれてきました。。。

27日朝、民宿 嶋屋さんを出て、

せっせと歩いてますと、先述した

大学生の彼が後ろからやって来まして、

それ以後、今日の目的地だった、40番・観自在寺まで

ずっと一緒に歩かせて頂きました。

今まで出会った、歩きお遍路さんは、

山を登る時や、コンビ二に寄る時などなど、

泊まったり、ゆっくり行ったり、早く行ったりすると

「ほな、さいなら〜!」ってどちらかが先に行くかと思いますが、

その大学生の彼は、どうやら、誰かと一緒に歩きたいようでした。

(つまり、性格が女子的なんです)

先述の、イブキご夫妻は、ナント☆室戸岬あたりから、

その彼と殆ど一緒に歩いて来たんだそうです(チョー・驚!)

そりゃー、彼の両親・保護者みたいな感覚になるわなぁ・・・(笑)。

彼は、私がコンビ二に行く!郵便局に行く!と行ったら、

一緒について来てくれます。

私は最初は・・・「一人で歩きたいのになぁ・・・」って思っていたんですが、

さみしそうでしたし、イブキご夫妻に彼のことを頼まれましたので、

一緒に歩くことにした訳です。

だけど、彼の少し早いペースのおかげで、

意外と早く、観自在寺に到着が出来たし、

二人であれこれ話ししながら、歩くのも別の意味で楽しいし、

安心できるわなぁ〜!」ということが分かりました。

彼の言動や、昔のこと、学校のこと、家族のことなど、

断片的に聞いていて、なんとなーく、なぜ彼が遍路をし、

さみしがりやさんなのか・・・どこか自信なさげなんかな?ということが見えてきました。

彼も私同様、父方の祖母がバスお遍路さんをしていたという

「血」の影響で、この道に導かれたということもありますが、

彼自身、いろいろと物心ついた時からの悩みがあるようです。

私は彼に・・・

「身内だから・親だからと言って、キミのことを最も理解してくれる人とは限らないよ。

今は、外にいると(赤の他人だと)思うよ。

理解してくれる人・本当に心からキミの相談に乗ってくれる人は必ずいる。

今、一人暮らししている東京には、めちゃくちゃたくさん人がいるんやし、

諦めないで探せば必ず、そんな人が見つかる。

ただ、ひとつ言いたいことは、どんなにキミのことを理解してくれない親でも、

『感謝』はせんアカンよ。(私もまったくそうなんですが・笑)

だって、両親がいなかったら、確実にキミは今、ここにこうして元気に

生きておられへんねんからね・・・お遍路終わったら、実家寄って、

両親&おばあちゃんに、お土産でも買ってったらどうかな?」

・・・という言葉が不思議とスラスラ出てきました。

彼は、しばらく黙っていました。。。ちょっとぐっと来たみたいでした。

ほんと、おせっかい&うるさい、大阪のオバチャンでしたが(笑)、

何かのご縁で彼と一日歩かせて頂きましたことですし、

彼の幸せも、この道で、祈り続けたいと思います(%笑う女%)(%晴れ%)

その大学生の彼と歩いていた時・・・

宿毛市の旧市街地で、衣料品店を経営していた

おじさまが(写真)・・・

「大阪から来たん!?僕、大阪すきやねん!

コーヒー、飲んでいかへん!??」と言われ、

大阪人として、大阪好きを無視する訳にいか〜ん!と(笑)、

開店前のお店に入らせて頂き、30分くらい、お話をさせて頂きました。

おじさんは72歳らしく(見えない!若い!!)

若いころは、丁稚奉公で神戸・三宮の衣料品店で

営業などしまくってはったそうです。

高度経済成長時、淡路島の多くの学校に、

柔道着を大量に注文をもらったこと、

神戸界隈の学校の制服(当時流行しだした「ミニスカート」)も

どっさり注文頂いたことなど、昔のご苦労や嬉しかったことを

たくさんお話してくださりました!

なお、宿毛出身の有名人は、間 寛平さんをはじめ、

ちょっと離れた地域では、「やすきよ」の西川 よし師匠、

ちょっと前では、吉田 ・元内閣総理大臣が有名なんだそうですョ〜(%笑う女%)(%晴れ%)

観自在寺に着き、大学生の彼とお別れした後は、

この愛南町に暮らすおじいさま、吉良さん(92歳!)と

4ヶ月ぶりの再会を果たしましたぁ〜(%笑う女%)(%晴れ%)

吉良さんとは、昨年10月、愛媛県宇和島市倫理法人会で

講話をさせて頂く前に、たまたまランチで寄ったお店で

「若い人が歩きお遍路さんをしている・・・その心理を知りたいんです」と

話しかけて来てくださり、そこで2時間くらい、

お話をさせて頂き、是非ともまたお話をお伺いしたい!と

こちらから、アポを取らせて頂きました。

吉良さんは、92歳でも全然お元気な方。(心身・・・脳も・笑)

若い頃は満州で戦争の前線を体験、奇跡的に生還されました。

小学生の時に立て続けに両親が病気などで他界、

最終学歴は「小卒」。

村一番の貧乏人だったそうで、当時は、どん底の人生だったそうです。

だけど、

「ワシは、村一番の大金持ちになる!」と一念発起し、

ご本人の固くて大きな決意&努力に、時代の波(高度経済成長)が加わり、

林業・不動産などで、一気に貧乏人から超人的な

経営者(資産家)になられ、その夢が叶ったとのことです。

ほんと、私たち世代では想像不可能な、壮絶な人生です。

思わず聞き入ってしまいます。。。

その夢の叶え方は、人の道に反することではなくって、

自分、自分以外の人(地域社会・お客さん・取引先・社員など)が

みんなが幸せになれるような仕組みを構築され続けていたことです。

他に、いくら儲けても、調子は乗らず、自分自身の器以上のことは

絶対にされなかったとのことです。

ほんと、堅実かつ大胆、慎重かつスピーディー・・・

相反する要素をTPOに合わせて、絶妙なタイミングでコロコロ変えて使いこなす・・・

時代を読む、「嗅覚」は、天下一品だと思いました!

そんな吉良さんの元気で長生きするための秘訣は、

「くよくよしない。全ての出来事を善意(肯定的)に考える!」

ことなんだそうです。

やぱり、メンタル面が最も重要のようですね(%ニコ女%)(%王冠%)

吉良さんとお会いした後は、

同じく愛南町在住の

藤田さんというおばさまに再会させて頂きました!

藤田さんは、いつもお世話になっていて、

尊敬する経営者・三原さん(大阪府倫理法人会・会長)の

同級生で、それがご縁で、2回目の車お遍路の時に

お会いさせて頂き、一度ご自宅にも泊めていただきました。

藤田さんは、3年がかりで昨年、歩きお遍路を妹さんと

歩ききられまして、私のお遍路での大先輩でもあり、

ひたすら歩き遍路ネタで大盛り上がりさせて頂きました!

やっぱり、同じ経験を持った人、ならではの

合致感があり、とっても嬉しかったです。。。

吉良さんもそうでしたが、藤田さんにもいろいろとお店の食べ物を

ご馳走になりまして、本当に感無量でした。。。

(右上写真の封筒は、藤田さんから頂いたもので、

お金がはいっていました。。。アカン、感動の涙が。。。)

ほんと、いろいろな人の「おかげさま」を頂き、

この遍路道を・・・そしてこの人生を歩ませて頂いております。

感謝しきれないくらい、ありがたいと感じています。

明日・28日一日歩いて、宇和島市あたりに行って、

またそこで、お遍路旅で出会った方と再会し、そしてその日の夜の

夜行バスで大阪に帰ります。

(このブログ更新は、29日か1日になりそうです)

今回の最後の、お遍路も、楽しみながら、

がんばりたいと思います(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)