先週末、愛媛・松山に行って来ました。
予告どおり、『坂の上の雲ミュージアム』にも
行って来ました。
その詳細や、今回の愛媛旅の詳細は、また後日報告ということで、
今回は、その『坂の上の雲ミュージアム』で、
ふ・・・っと閃いたことを、記させて頂きます(%ニコ女%)(%星%)
・・・物事を、やりながら考え、理解していく・やれば分かるのが、
【右脳的プロセス(直感優位的思考)】。
理解してからやるのが、
【左脳的プロセス(理論理屈優位的思考)】だと、ふっと思いました。
戦後の日本では、この左脳的プロセス優位の時代が続きました。
理論理屈で説明出来ないものは全て廃除されていきました。
が、21世紀に入り、日本にも『精神的革命』が起こり始めました。
いよいよこの日本も、更に進化・深化した
右脳的思考優位の人が主体となって、
新しい時代を創らなければならない次元に入りました。
(客観的な事実として、左脳的思考では解決出来ない物事や現象が
この世の中の殆どを占めるということです)
左脳的思考に偏った人は、『理解しないとやらない』ので、
この理解するまでに多くの時間を割く人は、
流れが早い今の時代の中で“ふるい”にかけられ、
健全に生きて行けなくなります。
一方、右脳的思考を持った人は、
『物事を起こす前に、まず理解する』という膨大な時間・・・
(つまり、なにもしない・実践しない時間)があまりないので、
左脳的思考の人よりも、かなり早くスタートを切ることが出来、
結果、ゴールにも早く到達することが出来ます。
21世紀を生きる人は『どれだけ考え、理解するか?』よりも、
『どれだけやるか、実践するか?』が
経営や人生の勝敗を決めて行くことになろうかと思われます。
司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』の登場人物は、正にそんな、
最も古くて新しい生き方を、貫き通した
“先駆者”だったと私は捉えています。
ずっと考えて戦略戦術を練るだけやったら、
日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊にあっけなくやられ、
その時に日本国は世界地図から消え、
そして日本(大和)民族も、この地球上から抹消されていたかと思います。
だから私たち日本人は、秋山好古・真之兄弟や
正岡子規に猛烈に惹かれ…
そしてそもそも、司馬遼太郎さんがこの3人を小説化をし、
21世紀を生きる私たちに『坂の上の雲』を遺して下さったんだと思います。
…一方、四国遍路行は
約1230キロを、“ただひたすら歩く”という、
その気さえあれば、誰でも出来る至極簡単な実践となっています。
それを通して、いろんなことに気付いていく…
自分の本来あるべき姿・生き方(逝き方・死に方)に
環(か)えっていく“行”だと思います。
私が入っている経営者団体・倫理法人会における“倫理実践”も、
『万人幸福の栞』に書かれてあることを、
理屈なしに(右脳的プロセスで)まずやってみることによって、
本来の自分に環えっていく修業の道(プロセス)であろうかと思います。
『環える』
永遠にぐるぐると螺旋を描きながら環えっていく・・・
己を高めていくという『道(どう)』の精神。
終わりがない修業…
あの世に行くまでひたすら修業…生涯学習。。。
『もう自分は分かった&悟ったから必要ない』は、
精神的に死んだも同じ…生物学的には生きてはいますがね(笑)。
本来“悟り”とは、
この世において『死んで』初めて達する境地なのかも知れません。。。
“遍路行”や“倫理実践行”はプロセス(手法)は違いますが、
全てのゴール・目的は同じ場所であります。
登山道はたくさんあっても頂上は一つの山と同じです。
だから遍路や倫理でなくても、『本物のゴールへの道』であれば、
なんでも&どれでも構わない訳で、
自分に一番合った道(修業スタイル)を選べばいいかと思われます。
何故、四国遍路行を私が選んだか?それは
『一番自分に合った道だから』 それだけです。
きっと、
世の中にはいろんな人や、いろんな職業の人が存在する
その本当の意味は、
みんなそれぞれ違う使命・役割(修行)を極めることによって、
一つの同じ頂上・ゴール(=よりよい社会・国家・世界にしていくこと)を
みんなで目指しているから・・・なんだと思います。
・・・平成26年、四国遍路道が出来て1200年になるそうです。
1200年分の私たちの祖先の叡智
(“罪”も含む。だから不浄な人間や環境も存在します)が、
その道の中に存在し続け、
それは私たちがこの世を去ってからも積み重さなっていきます。
だからこの道を歩いていますと、
日本国…大和民族の底無しの素晴らしさに
私は感動と感謝の気持ちでいっぱいになります。。。
世の中(娑婆の世界)は、私たちが思っている以上・・・
ケタチガイに大きい・多い愛で溢れた場所(人生)だという事に気づかされます。
また四国遍路道は、私たち日本人の本(もと。起源)から、
今を生きる私たちの人生を繋いでいる、“一本の糸(道)”のようにも感じます。
普段の生活では、なかなか先祖たちの足跡(軌跡や奇跡)は見えませんが、
四国遍路道にはそれがくっきりと遺っていて、
それを容易に感じる・見ることが出来ます。
1200年以上も続くこの日本国(地球)の、一本の命の糸の最先端が
この私であるという事実に気付くことが出来ます。
時代の先駆者である、この私(=今を生きる私たち)が、
日々ダラダラと、時代や他人のせいにして、怠慢を貪り堕落して生きるなんて、
…そんな命の糸を感じてしまったら、絶対に出来ない訳です。
ホンマ、四国遍路、バンザイです☆病的にハマってます(笑)。
そんな感じで、今月末にまたお遍路しに松山へ行きますので、
ますます楽しみな、よしこちゃんデシタ〜(%笑う女%)(%王冠%)