特 攻 花 (とっこうばな)

なんやかんやとドタバタしているうちに、

気がつけば終戦の日を3日、過ぎてしまいマシタ…(*_*)。

倫理法人会の女子友達「ゆうきちゃん」から、

クリスタ長堀にあるギャラリーで、

ある展覧会が開催されているヨ」と言われ、

18日朝、大阪西区倫理法人会の

モーニングセミナー参加の後、行ってみました。

タイトルにあります「特攻花」の由来です。

太平洋戦争の末期、喜界島(鹿児島と沖縄の間にある島)は、

沖縄にいるアメリカ艦隊に向けて出撃する

『特攻隊』の中継基地だったそうです。

沖縄に飛び立つ若い特攻隊員たちに、

最期の別れとして、基地の周りに暮らす娘たちは、

彼らに野の花を贈ったといいます。

ある特攻隊員は、戦火の中まで花を持って行くのは忍びない…

と滑走路脇にそっと置き、

またある隊員は空から滑走路に花を投げ出撃されたそうです。

終戦後、滑走路の周辺に群生するようになったその花は

いつしか『特攻花』と呼ばれ、

「平和の願い」のシンボルとして大切にされているそうです。

その『特攻花』に強烈に惹かれた、

当時19歳の女性カメラマンがいました。

今は30歳くらいの、仲田千穂さんです。

その仲田さんの写真展が

クリスタ長堀のギャラリーで今月24日まで開催されています。

戦争を実際体験した私たちの祖父母の世代(第一世代)、

その子供である両親の世代(第二世代)、

そして私たち孫の世代(第三世代)。

その第三世代の仲田さんのカメラで切り取った風景は、

『千の風になって』の歌の世界のように、

弾薬や焼け焦げた臭い、

人々の苦痛の叫び等のリアルな“死の風景”はありません。

『爽やかな風』が、あの時代からさー…っと、こっちに流れて来て、

それを今を生きる私たちの心身に当たり、

染み込んで来る…という感じです。

想像を絶する強烈な戦争の時代から、

なんで『爽やかな風』が吹いて来るのか…?

私なりに考えますと、

人間が…はたまた私たち日本人がより幸せに進化して生きる為に、

必要不可欠な出来事の一つが、あの太平洋戦争だったかと思います。

先人たちの多くの命を奪い、多くの人々の人生を狂わせた、

あの戦争という大苦難。

起きてしまった事(過去の史実)は誰にも変えることは出来ません。

だけど生き残った人々が、死んだ人々の分まで、

正に地を這うような努力をして、

今日の(とりあえずは)平和な日本国家が築き上げられました。

生き残った人々や、死んだ人々の

身内・子孫たちが、幸せになるということが、

死んだ人々に対しての弔いであり、

恩返しなのではないでしょうか・・・?

あの頃のように、今の日本では若い未来ある若者が、

片道分だけの燃料を積んで、

アメリカ艦隊に突っ込むことをしなくて済む世の中になり、

死んだ人々が天国で、満面の笑みを浮かべて喜び、

その想い(“慈愛の心”)が、『千の風』になって、

今を生きる私たちに爽やかに吹いて来ているような気がしています。

…時間調整の為、展覧会見学後、ギャラリー側の喫茶店で、

1時間くらいいたのですが、私の隣にいた20代の若者たちが、

不平不満を漏らしながら背中丸めて、

携帯と遊びながらウダウダと話ししている姿がありました。

『これが欲しい』 『あれはイラン』 『アイツが嫌』 『つまらない』 『疲れた、しんどい』

今を生きる若者の姿を、特攻とか戦争で死んで行った若者たちが見れば、

どのように思うのでしょうか…?

別に彼らだけでなくって、彼らの親(大人たち)たちもそんなんやから

『鏡の法則』で子供たちがそうなって行く訳です。

そんな彼らは『哀れな被害者』であり、

そして彼らが子供を授かれば、彼らの親同様、

『完全なる加害者』になっていく訳です。

同じ日本人として、情けなく…愚か過ぎて泣けてきます。。。

カンペキ『命の無駄遣い』やん・・・って思います。

一体、何のために先人たちは人生を狂わされ、

命を取られたのでしょうか?

今を生きる…“生かされている”私たちが、

こんな無駄な生き方してたら、先人たちな完全なる『犬死に』やん!って思います。

先人たちが思い描いていた・・・渇望する

67年後の日本国家&日本人の姿とは、こんなんだったのか…?

深く考えさせられ、私自身、猛省した次第です。

・・・失敗とは、一度体験することによって、成功の糧になります。

が、同じ失敗を二度以上することは、

明らかに時間の・・・そして命の浪費にしかなりません。

先人達の一度の失敗も活かし、二度と繰り返さないようにすること

(“負の連鎖”を断ち切ること)が、

今を生きる私たちの絶対的使命なのではないでしょうか・・・?

常に生かされているという「感謝の心」をベースに持ちつつ、

常に反省と学習、そして改善という『実践』がない人には

進化(更なる幸福)は得られないかと思います。

また、過去の史実(出来事)は一つであります。

だけど、未来へと繋ぐ「解釈」や「その出来事から得られる教訓」、

「活かし方」的なものは、人の脳・ココロの数だけあろうかと思われます。

『起こったことを、どう理解・消化して、次の時代に活かしていくか?』

この物事の捉え方・考え方、そして実践方法によって、

おのおのの人生の舵取り・幸福の質&量が変わってくるようです。

…この展覧会を紹介してくれた友達と、

もうひとりの友達と来月、

鹿児島に旅行しに行く約束をしました。

一昨年の年末に、私は鹿児島にある

「知覧特攻平和会館」に行った経験を彼女たちにしますと

「行きたい!」と飛び付いて来られました。

ホント変わった30代の独身女子たちデスワ〜(笑)☆

…「生きている」ではなく「生かされている」この命。

「あれがない・これがない」ではなく、

「あれもある・これもある」という、

“神恩感謝の域”に常に己の心を保つことが出来れば、

各々の人生がより輝きを増し、

“本当の意味での幸せ”が得られると思います。

人生の幸不幸を決定づける、本当に大切なものは、

目に見えるものではなくて、目に見えないものの中にあり、

またどこか遠くにあるものではなく、

既に己自身が持っているものの中・・・

つまり“心”にあります(%笑う女%)(%王冠%)