毎度でーすっ(%笑う女%)(%ハート%)
入道雲のある風景はとっても好きなんですが、
最近なんだか、イキナリ豪雨だったりして
大変ですよねぇ〜(ーー;)
風景はいいけど、その雲の真下にいる人は
たまったものでは、ありませんね。。。
今日の午後、コンビ二に寄りますと、
かわいいネコちゃんが
入口側で、のんびり座っていました。
どうやら、ここで涼んでいるようです。
行きかう人の多くが、
このネコちゃんに「ごあいさつ」していました。
ほんと、人なつっこくて、賢いネコちゃんです(笑)。
人間の世界もネコの世界も、
“賢い”方が「生き方上手」のようですねぇ〜(再び笑)(%ニヤ女%)(%王冠%)
先日、二ヶ月に一回程、開催されている
「心の学校」に行ってきましたぁ〜(^0^)☆
大谷師の法話は、
とっても人間くさく、そしてとっても分かりやすい・・・
日常生活にすぐ活かせるお話しばかりという
面白くってお坊さんらしくないところが
やみつきになります(笑)。
今日のメインテーマは『自我と無我』についてでした。
私は、四国お遍路をはじめ、
いろんな行を日々しているのですが、
やってもやっても、『欲(我)』というものが
無くならないのはなんでやねんやろ(^^;)?
というのが、日々からの大いなる疑問でございます。
その疑問の「?」が「!」に変わった
本当に分かりやすい・・・素晴らしい内容でした♪
「自分以外の他人と、意見・価値観の相違で
もめたり、イライラしたり、
『なんで分かってくれへんの!?』って
嘆いたりしている、そもそもの理由」から
法話は始まりました。
人間同士が衝突している理由は
その人同士の“生き方・考え方”が違うから
なんだそうです。
それがどこから形成されるのか?
“価値観”であり、
そしてこの価値観を形成しているのは、
その人の生まれてから今までの“経験”とのことです。
大谷師は、薬師寺で出家してから、
5人の師匠に仕えたそうです。
5人とも、会社で言う「薬師寺の社長」であり、
「薬師寺という工場で長年かかって創られて来た人間」であります。
ところが、師匠の5人ともそれそれ“カラー(独特の色)”
があり、師匠(社長)が変わるたびに、
あれこれ言われることが変わったそうです。
同じ薬師寺の5人の師匠・・・。
一体どこが違うのか?
それが、それぞれの師匠が、薬師寺に入る前に得た経験と、
入ってからの経験なんだそうです。
だから、それぞれ5人は違う価値観を持ち、
違う考え方・生き方・・・
弟子への言動が変わって来る訳です。
だから、「そもそも論」として、親子夫婦をはじめ、
この世で誰一人、自分自身と全く同じ
多くの経験をしていないので、
価値観・考え方は違うのは“当たり前”だということです。
だから、「なんでこの人は私の言うこと分かってくれないの?」
「なんでこの人はこんなこと、するねんやろ?」と
疑問に思うことは、当たり前であり、
と同時に、自分自身ではどうしようもない・・・
仕方が無い訳なんです。
だから、他人を責めたり憂えたりするのが
そもそもの間違いで、
相手の価値観・考え方の「ありのまま」を
受け容れることがまず重要なんだとのことです。
それから、「我(が)」についてですが、
「無我(むが)」とは、
「我が無い」
つまり、「我を無くさなければならない」と
今まで思っていたのですが、それは違うようです。
大谷師曰く「無我」とは、
「『我(われ)だけで無い』ということに気づき、それに則った生き方をする」
ことなんだそうです。
これは、強烈に凄い事実だと思いました☆
我(欲)をゼロにしてしまいますと、
生存欲(食欲、睡眠欲、性欲など)まで削ぐことになり、
その人自体、生きていけないし、
世の中も発展して行かないんですよね。
つまり、無我(の心)とは、
「自分以外の人と自分自身がどう“調和”(合一)をし、
双方が発展して行くねんやろ?」と考え、実践することです。
逆に、自我とは
「自分の“我”だけ」という意味で、
「自分だけの為に生きる、“孤立”(対立)の心」なんだそうです。
『法句経』では、無我の人を「賢者」と言い、
自我の人を「愚者」と書かれているんだそうです。
人間(の心)の殆どが、この自我と無我の間を
ウ〜ロウ〜ロ・・・無常に彷徨い続けているんだそうです。
「心(こころ)」は「コロコロ変わる」から
「こころ」だと、昔どなたかに教えて頂きましたが、
正にそんな感じでしょう。
また、その自我と無我の間を彷徨うことによって
いろんな苦難と幸福が交互に訪れ、
それによって心がよりキレイに、磨かれているんだと思います。
天気も雨の日があるから、晴れの日がいいなと思うし、
晴ればっかりだと、作物が育たないので、
これまたナンギなことだと思います。
天気も人間の心と同様、根拠もなく理論も無く
コロコロ変わります。
天気は「天」の「気」と書きますが、
きっと、人間の心も、この「(自分自身の)気」から、
全てがはじまり、全てが決まっていくんだと思います。
たとえば、急に雨が降ってきて、
「ああ、今日は傘を持って来てなかった、ツイてない!」と嘆くか、
「今日はお百姓さんが助かるなぁ〜、ありがたい!」と喜ぶか、
そこから全ての事象が変わり始め、
そしてその人たちの人生
(経験から得た解釈→価値観→考え方・生き方)が
どんどん輝いたり、くすんだりと、変わっていくような気がしています。
日々何も勉強(訓練)していない人・
しようとしない人は「愚か者」だと『法句経』で書かれています。
その真意はつまり・・・
「誰の・何の知識や経験よりも自分自身が優れているから・・・と
思い込んでいる」からなんだそうです。
更に突っ込んで言うと、つまり、自分自身が「賢者」だと思い込んでいるのです。
『法句経』では、下記のように書かれています。
「愚かな者でも、自らを愚かな者だと思っているならば、
少なくともその限りでは彼は賢い賢者である。
しかし、愚かな者が、自分が賢者であると思い誤っているならば
彼はまことに愚者と呼ばれるべきである。」
『法句経』、深い・・・底なしに深いですね。。。
そして大谷師、、、すごい・・・。
これでますます薬師寺で出家したいと思いマシタ〜(笑)。
ま、出家は『晩年の楽しみ』としてとっておくとして(爆)☆、
さて。いよいよ、明後日・24日朝より、
四国お遍路行、再開デス〜っ!!!
楽しくハリキッテ修行して参りま〜すっ(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)