『余命一ヶ月の花嫁』

先日、近所にある「TSUTAYA」で、新しく会員カードを作ったら、

毎月1本、DVDが無料で見れるカードを頂いたので

月末に1本借りに行きました。

あてもなく店内をウロウロしていますと、

『余命一ヶ月の花嫁』

というある種、かなりアンバランスな日本語のタイトルに惹かれ・・・

しかも、旧作にも関わらず

横向きに置いてあったので、とっても目立っていたので、

店員さん的に、ちょっとオススメだったんかも知れません。

『余命一ヶ月のおばあちゃん』とかであれば、

「そりゃーそーやなっ☆」って、そのままスルーしていたんですが(笑)、

これからが最高の幸せの階段を登っていく『花嫁』が

余命一ヶ月って、どんなんやねんやろ〜(%ショック女%)(%雷%)!?という気持ちがあったので

借りてみましたぁ〜(%ニコ女%)(%音符1%)

このDVD(映画)制作のきっかけは、

2007年にTBS系列のドキュメンタリー番組で

「24歳の末期がん」というタイトルで放映された・・・

乳がんでお亡くなりになられた、故・長島千恵さんの実話を元に

制作されたとのことです。

このDVDを見ていた時、たまたま自宅には私しかいなかったので、

ちょうど良かったんですが(笑)、

ほんと、映画(テレビ)でこんなに号泣&泣き崩れたのは、多分始めてです。

多分、お遍路行に行った直後だったので、特に感覚が冴えていたからかも知れません。

西田敏行さんが5人くらい憑いたような状態デシタ〜(笑)☆

この映画やドキュメンタリー番組が放映され、

放送元のTBSなどが主体となって、『ピンクリボン運動』

大々的に展開されたようです。

乳がんを撲滅するために、ちゃんと検査しましょう的な運動です。

このブログを書くにあたって、間違ったことは書けないので、

様々なホームページを調べさせて頂きましたが、

みなさん、このTBSの行動や映画のシナリオ(フェクション部分)に関しては

賛否両論がおありだったようで、あれこれ書かれております。

どれが、正しくて間違っているのか・・・ほんと、ネットの世界・・・いや、

人間の思い込み&主観(つまり“我欲”)の世界の恐ろしさを、ひしひしと感じます。

私とご縁のある方が、先日ある雑誌でたたかれていて、

私の周りの人たちも、あれこれその人や会社、活動に対して

論じてはります。

最初は事実と一緒だったかも知れませんが、

伝言ゲームのように、だんだん伝える人間の主観が入り込み、

事実がどんどん虚実になって来ているから、面白くもあり、怖いです。

私はたたかれていた人に直接、真実を聞ける立場なので、

その虚実具合がよく見えるんです。

きっと、私たちの身近な世界においても、

このような人間の主観による、“虚実の生産”が頻繁に行われているんでしょうね。

・・・私は、この映画が実話と比べてどうであるとか、

TBSがどうであるとか、どうでもいいんです。

私がこだわっている、見つめているのは、

長島千恵さんの人生であり、そのパートナー、お父さん、仲間など・・・

彼女に関わる人たちの人生、そのものなんです。

それ以外の人間の主観は、どうでもいいんです。

映画の中で、ある時、パートナーの太郎さんが、入院している千恵さんに

「今何してんの?」ってメールしました。

すると千恵さんは

「生きてる。」

って返事しました。

この「生きてる。」という返事が、めちゃくちゃ衝撃的でした。

ハンマーで後頭部をどつかれた感じで、脳内に火花が飛び散りました。

私だったら、「寝てた。」とか「仕事してた。」とか「ご飯食べてた。」とか

返事すると思うんです。

そうかぁ・・・。

寝てるのも、仕事するのも、ご飯食べるのも、

生きてないと出来ないんですよね。

「生きてる。」ということが、人間にとって

唯一無二の基本の動詞なんですよね。

・・・映画が終って、エンディングの音楽が流れ、

最後の最後に5秒くらい、演じていた榮倉奈々さんではなく、

本物の千恵さんの、ウエディングドレスの横姿の顔写真が

映っていました。

(何で結婚してないのに、ウエディングドレスなのか?はヒミツです・ネタバレ〜!笑)

このお写真は、衝撃的でした。

直感で申しますと、

余命一ヶ月という、“死”という“気”と、

花嫁・・・これから結婚という『合一の儀式』を通して、

更に生成発展して生きて行く・・・という“生”という“気”の

両方が強烈に放たれていた写真だったからです。

私は今まで、いろんな人&写真を見て来ましたが、

“死”の“気”と“生”の“気”を、同時に&強烈に放つ人は見たことがありません。

例えば、赤ちゃんであれば、“生”の“気”だけを強烈に放ち、

お年寄りの方やご病気の方は(その比率には個人差がありますが)、

“死”の“気”が多く、“生”の“気”が少ないんです。

それら2つの気を足して100%になるという感じです。

が、千恵さんのその写真は、

死と生の気が、100%ずつ・・・両方足して200%の気を感じたんです。

そんな人、見たことがありません・・・。

ここからは、完全なる推測ですが、

普通だったら、そんなに長生きしていかなったかも知れません。

つまり、“死”の“気”100%でもう死んでいたと思います。

だけど、周りの人たちが“生”の“気”(=生きる気力)を

彼女に贈り続けていて、しかもそれをちゃんと彼女は前向きにキャッチして、

彼女の心の“気”と共鳴し、貰った“生”の“気”を自分の気に

変換して生き続けたのではないかと感じました。

まさに、奇跡の事実の物語であり、

彼女の心づかい(愛)によって、こうやって今も広く多くの人たちに

“生”の“気”(=生きる気力)を与え続けてくれているんです。

だから私たちって、「生かされている」存在で、ある訳です。

逝った人からでも、“生”の“気”(=生きる気力)って頂けるんですよね。

その理由は、お遍路中にも書かせて頂きましたが、

逝った人は、身体は無くなっても、魂は永遠に無くならないからです。

目に見えないだけで、存在し続けるんです。

一度でもこの世に存在し続けたものは、永遠に無くならないんです。

そんな面からでも、死=無・・・死ぬと全部無くなるという

唯物主義的思想は間違っています。

・・・にしても、きっと、そんなことって、私たちの身近にもあると思います。

やさしい気を贈ってあげれば、相手が喜び、生かされる。

哀しい気を贈れば、相手も悲しみ、生きる気力がダウンする。

・・・こうやって、35年間生きてますと、

ついあれこれ不足不満が出てきてしまいます。

だけど、不足不満も、「生きてる。」からこそ、感じられる境地です。

この「生きてる。」ということに、究極の感謝をし続けることが出来れば、

どんなに幸せなんだろう・・・って、いつも切実に思っています。

四国を1000キロ以上歩いても、

まだまだ修行が足りません・・・(%とんかち%)(%痛い女%)(%星%)が、

少しでも千恵さんの境地に達するように、

人生遍路、ハリキッテ☆参りたいと思いま〜す(%笑う女%)(%ハート%)

(遅くなりましたが)

長島千恵さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。