『お遍路メモ』より 〜上り坂・平坦な道・下りの道を歩む〜

ずっーと緩やかな“上り坂”で、ふっ・・・と思った。

民宿岡田の岡田さんが言ってはった。

「歩き始めは『ならし』でいたわる。そしたらマメも出来にくい。」

だけど、今回の歩き遍路では、

イキナリ初日から25キロも歩いてしまい、この有様。

とにかく足の爪がじんじん痛む。

身体をいたわる

他人をいたわる

自分自身の心をいたわる

…まだまだいたわり度合いが低いと、反省。。。

「しんどかったらゆっくり歩けばいい。

人生しんどいだけでもアカン。楽しくなくっちゃね。」

そう岡田のおじさんは言っていた。

木漏れ日から降り注ぐ朝日を浴びながらの遍路道。

自分自身の心臓の音を感じ、『生きてること』を感じながら、

ふっと笑顔。我に返ると・・・

「爪先があまり痛くない」

ゆっくり確実に歩く、少し頭を屈めて慎重に歩く。。。

こんな感じで“人生遍路”も、緩やかにずっと上り坂が、

最も確実にそして早く、『坂の上の雲(夢・目標の達成)』に

辿り着けるような気がしました。

謙虚に頭を下げながら、

まだ見ぬ頂上(ゴール)に希望を燃やしながら

着実に一歩一歩、歩んでいく・・・。

この四国遍路道でも教えてくれることは、

結局のとこは、人は一歩一歩しか歩けないし、

一つ一つしか成長出来ないということなんかなぁ〜って痛感した。

そして、自分自身の決心や志を信念へと進化せる

88番・大窪寺までの結願(けちがん)への道は、

自らの決心や志が「本物」であるかどうか

常に問われている旅でもある。

常に自分自身に“疑心暗鬼”。

「なんで、こんなことしてんねんやろ?ああ、しんどい」って。

だから『鏡の法則』で、他人に対しても“疑心暗鬼”。

だけど、実際、ここまで歩いて来て、ゴールが見えてきて、

“疑心暗鬼”が薄れて来ると同時に、

「やれば出来る」という絶対的な信念が確立されて来た。

きっと、私の“人生遍路道”も、

毎日毎日、いろんなこと・苦難・幸せを味わい、

いろんな感情を感じながら、、、曲りなりにも、

信念の確立という結願(けちがん)への道を

ちゃんと着実に歩んでいる・・・そう思えるようになった。

まさに、『万象肯定』・・・『大肯定』の境地って、

多分、こんな感じなんだろう。

「全てが善」「すべてよい」「これがよい」という感じ。

今、ブログとか日記とかいろいろ書いてるけど、

一回目の折りたたみ自転車でのお遍路行、

歩き遍路はじめての、徳島県・高知県あたりの日記の内容(気づき)と

今とは明らかに『何か』が違う。

その『何か』は、今の私が欲しい・掴みたいもの。

『何か』と掴める、そんな確信が、この遍路道にはある。

いや。その認識は違って、

もう掴んでいる・・・産まれた時から

もう既に、それを掴んでいるのかも知れない。

それを得るための・・・『還る旅』なんだと思う。

やっぱり、遍路旅って、

見た目の世界では、四国という外の場所で旅しているんやけど、

実際は、自分の心の中を旅していく旅(修行)なんや!

既に持っている『いいもの』を探り当て、育む旅であり、

既に持っている『わるいもの』を捨てて行く旅なんや!

納得〜っ☆☆☆☆☆

哀しくて嬉しい

切ないけれど愛おしい

哀し過ぎても、嬉し過ぎても涙は出る。

深く静想すると「ああ…、私って生きているんやな…」という万感の想い。

生きることの辛さ、そして素晴らしさを日々感じられる遍路旅。

涙は心と身体・言動が一致した時に現れる

『すなおな心』の象徴のような気がする。

そう思えると、涙腺が緩む日々は、

実はとってもいいことなんやって思う・・・(%ニコ女%)(%星%)