たまにはこんな日常も♪ 〜白銀の世界へ〜 前編

毎度で〜すっ☆

隙間時間を活用して、さらっとブログ更新です。

2月2日(土)・3日(日)と、我が両親、

兄の家族(兄・兄嫁・姪っ子・甥っ子2人)と、

岡山県真庭市にある

蒜山高原に行ってきました(%ニコ女%)(%音符2%)

やさしい兄の親孝行で(?)毎年冬に

我が両親とその孫達を連れて

兄の車一台にみんなが乗って一泊旅行に行く・・・

というのが大橋家の“定番メニュー”ということで、

団体行動が昔からニガテなよしこちゃんは

誘われても絶対に行かなかったんですが(笑)、

私の母方の祖母の実家である、岡山・備中高梁に

帰り寄るということが兄からの提案があり、

それに食らいついて、いくことにしました(笑)。

両親と一泊旅行なんて、何年ぶりやろう。。。

昔は毎年のように「家族旅行」ということで、

この蒜山高原の国民休暇村も含め、

いろんなところに行っていました。

蒜山高原近くのインターチェンジを

下りてすぐのところに「又来」という

手打ち蕎麦屋さんがあり、そこで美味しい蕎麦をマンキツ(%ニコ女%)(%星%)

ウチの兄を筆頭に、兄家族は、「美味しい物を食べる!」ことに、

めちゃくちゃ命を燃やしている感じがして(笑)、

兄は、ネットとかあらゆる媒体を活用し、

美味しい物を見つけ出して来るのがとっても上手なんです。

とにかくみんなよく食べます(笑)。

国民休暇村でのバイキング料理は、ほんと、もの凄〜い勢いで

みんな食べてまして、私もつい一緒にたくさん食べてしまい、

今、ちょっと身体がだるく重いんです(苦笑)。

ということで、今日は朝も軽食のみ、お昼は食べていません。

だけど、こんな感じでみんなよく食べて

よく動けば、日本経済もどんどんよく回るなって思いましたぁ〜(%ニヤ女%)(%王冠%)

一泊した、休暇村から車で10分くらいのところに

初心者用のスキー場があり、

スキー好きの兄嫁と、姪っ子がスキーをマンキツしに行きました。

残った両親、兄、甥っ子2人私は、

スキー場の下の方で、そり遊びをしました。

そり遊びといえば、幼少期、大阪南部にある金剛山へ

雪山登山に行き、帰り、そりで滑って一気に下りて来る・・・

というスリル満点のことを、家族でマンキツしたことがありました。

ご縁あれば、あれだけはもう一回やってみたいです。

そもそも私は、寒いところが好きではなく・・・

いろんな用品を揃えてこちょこちょするのが面倒くさく・・・

スキーとかスノボとかは危険なので好きではなく・・・

雪=温泉にゆっくり入って眺めるもの的なイメージしかなく、

2回すべって、「こんなもんか〜」とそさくさと戻りました(笑)。

だけど、私のような人間は、そのスキー場にはほぼいなくって、

スキーとか楽しみまくっていました。(当たり前やけど・笑)

なんで私ってこんなんなんかなーって考えてますと、

やっぱり、両親の影響が強いなと思いました。

幼少期に、両親から、スキーの楽しさは

一切教わらずに、中学校の修学旅行で初めてスキーと出会い、

その次は高校生の就学旅行でスキーをやって

それ以降、スキーをしたり、スキー場に行ったりは皆無です。

兄は運動オンチやし(笑)、スキー好きの兄嫁が、

子ども達にスキーの楽しさを伝えるべく、

娘をそこのスキー教室に入れたり、

兄嫁が小さな甥っ子を抱えながら一緒に滑っていました。

兄の子ども達は、もしかしたら、個人差があるものの、

有る程度はスキー好きになりそうです。

ほんと、誰に育てられたか?によって

随分、その子の人生の価値観って変わって来るねんなーって

再認識しました。

更に再認識したことは、

同じ親から産まれて来た兄弟姉妹でも

持って生まれた個性が違うということ。

2日間、両親&兄家族を行動を共にした訳ですが、

私って、つくづく、団体行動がニガテやな〜って認識しマシタ(%とんかち%)(%痛い女%)笑

兄夫婦の真ん中の子ども・上の甥っ子こうちゃん(5)は、

自身の感情のままに、突如どこかに行ったりして

「あれ!どこ行ったぁ〜!?」と大人が探すことが何度もあり、

その度に私の母親(オカン)が・・・

「昔のアンタ、そのまんまや〜(%ニヤ女%)」

って、ひたすら言われ続けましたぁ・・・(苦笑)。

例えば、自分だけ先にご飯を食べ終わって、

みんなが食べ終わるを『待つ』ということがニガテで、

待っている間に「ああ退屈や・・・、そういえば、食堂出たところに

絵本がいっぱい置いてあったな〜」って思い出すと

何も言わずに、ふら〜って出て行くんです。

で、外で絵本を読んでいるうちに、

「読み飽きたわ〜!って下のロビーを見ると、

多くの人が集まっていて、『あれ何〜!』って一人で階段降りて

その人の輪の中に入っていく・・・という有様です。

姪っ子や下の甥っ子は、どうやら両親の姿が見えないところには

怖くて遠くまで行けないようですので、

例え興味本位で、ほっつき歩いててもすぐ見つかるのですが、

真ん中の子だけは、どこまでも行く場合が多いようです。

続けて、「オカン」は言います。

「アンタの方が、もっとあっちこっち行ってたで〜」って(爆)☆

私は一応大人になったので、勝手にあっちこっち行かなくなりました。

例えば・・・一言「先に部屋戻ってるわ〜」とか誰かに言って、

そさくさと去るようになりました。

これは、「何も言わずに行くと、後でみんなに迷惑がかかること」が分かったという

“学習能力”がついたんやと思います。(我ながら、成長しましたぁ〜♪^^)

ちなみに、私の場合も、私だけが、こんな感じであっちこっち行ってて、

私の兄と妹は、親が近くにいないとイヤだったようで、

遠くまで一人で行かなかったそうです。

なんか、兄弟の真ん中って、みんな、団体行動がニガテな、

己の世界観を確立した、自立心旺盛な個性を持つ人間になるんかなぁ・・・(^^;)☆

・・・親から精神的自立プラス、経済的自立までを果たした今、

お金がもう自分の手元にありますので、

その甥っ子のように、何かが欲しくて(何らかの欲求を満たすために)

どうしてもお金が欲しい場合は、両親の元に自分自身で帰って来ますが、

私の場合は、手元にお金があるので、ますます両親の元(家)には帰らず、

ますます両親に『宇宙人』呼ばわりされる・・・という難題(?)に今ぶつかっています(笑)。

赤の他人様を見て「万象我師」やと思うことは結構ありますが、

こんな感じで、チョー身内を見て、

「万象我師」やな〜って思うことは、この2日間だけで、ケタ違いで多くありました。

もうあれこれウンチク言うのはやめときますが(笑)、

やっぱり、両親と寝食を共にしますと、

『この両親があっての、大橋良子』という事実をますます痛感しまくり、

ある種の運命的なものには絶対に逆らえないという、ある種の「諦め感」・・・

そして、ある種の「開き直り感」を感じました〜っ(%とんかち%)(%ショック女%)(%ニヤ女%)

さて。話題を戻します(笑)。

2日午後に蒜山高原に着きますと、

「雪恋まつり」という町おこしイベント的なものが

開催されていました。

「ひるぜん焼きそば」や、その元となった秋田県の

「横手やきそば」などのB級グルメが味わえる屋台、

地元出身のアーティストによるミニ音楽会、フォトコンテスト、

地元民芸品を手づくり出来るコーナーなど、

地元の中高年の方々が、必死にそして楽しく運営されていました。

私は地元の八尾でどちらかと言えば、

その手のイベントの主催者・スタッフに回る方が多く、

この経済不況&過疎化の中で、がんばる田舎の方々の想いに

感動しっぱなしでした。

そのイベントの中に「かまくらキャンドル」というものがあり、

参加者(観光客)がバケツに雪をぎっしり詰めて、

ミニかまくらを作り、夜、1000基のかまくらにキャンドルを灯し、

幻想的な風景をマンキツ出来る!というイベントがあり、

我ら大橋家も合計5基、楽しく作成させて頂きました。

14時頃、最後のかまくらを作ってますと、

主催者のスタッフを思われるおじさまが、誰かとお話ししてて、

「おいおい・・・、まだ200基くらいしかないで〜」って

ちょっと焦ってはりました。

チラシには「17時〜、約1000基のかまくらにキャンドルがともります」と

書いてあったんですが・・・。

想定外の少なさにヤキモキされている感じですが、

田舎の人たちなので、たとえ500基でも「約1000基のうち〜♪」って

済まされそうな、ほんわかした感じで、イイカンジのおじさま方でした(%笑う女%)(%晴れ%)

<つづく>