3月3日ひなまつりの朝、
近鉄山本駅南側商店街で
毎月第1日曜日に開催されている「朝市」の入口にて、
八尾(の商店街)を活性化するための
地域通貨「フレ」の交換所のお留守番を
久しぶりにさせて頂きましたぁ〜(%笑う女%)(%王冠%)
今はまだ寒いので、
お客さんも出店される方も少ない状態でしたが、
町の活性化にがんばる方々お姿に
心がほっこり暖かくなりました(%ニコ女%)(%晴れ%)
が、ちょっと寒く、2時間座っていて、
おもいっきり身体が冷えてシマイマシタ(%ショック女%)(%涙%)ので、
帰りは、ボランティア仲間のおじさまと
近くの王将で、天津販を食べたりしつつ、帰りました(%バイク%)(%星%)
帰宅すると午後2時過ぎ。
すると、なんだか、安全な場所に避難出来た人のように
安心して、うとうとと眠気がやってきました。。。
ちょうどイイカンジで、南向きの窓から
お日様がぽかぽかとあったかかったので、
そこにお布団を敷いて、ウトウト・・・ZZZ〜♪
いやはや、最高の時間ですよねぇ〜(%笑う女%)(%星%)
ウトウトすること1時間。
心身がすっきりしたので、またゆっくりと活動を再開しました。
明日から、また怒涛の日々ですので、
いい小休止となりましたぁ〜(%ニコ女%)(%星%)
最近、いいお言葉を聞きました。
「動植物は、学ばなくても勝手に、鳥になったり、花が咲いたりする。
しかし、人間だけは、学び続けなければ、“本当の人間”にはなれない」
人間は、産まれて来た時は、
「ヒト」という動物的存在として産まれて来ると思うんですよね。
それが、人としてのあらゆることを学ぶことによって
「人」という人間的存在に成って行くのだと思います。
それが本来の、子供から大人になるということなのではないでしょうか。
ところが、『生殖能力』を持つことが大人(人)になるということになっている
傾向が現代の日本でもあるような気がします。
真の人間とは、『叡智』を持つ・・・
『叡智を求め続ける』存在こそが、人間だと思うんです。
仏教的にそれを言いますと、
発心(ほっしん)して、「私は仏への道を歩むんだ!」という決断と、
実践力のことを差すかと思われます。
(その道は4つステージがあり、
①発心のステージ(徳島)→②修行のステージ(高知)→③菩薩のステージ(愛媛)
そして④涅槃のステージ(香川)です。これは、四国遍路道と同じとなります)
ですので、『生殖能力』はあっても、『叡智』を持たない存在は、
「人」ではなく、ただの「ヒト」やと思うんです。
どうも、叡智のない・持つ気のない「ヒト」が、
子供を産んだり、いろんな人間の組織を動かしたりしているところに、
この社会で起こっている諸問題の根源があるようにも感じられます。
その『叡智』の中には、様々な「力(ちから)」があろうかと思いますが、
私は最近、「胆力(たんりょく)」という力が欲しいと思っています。
事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力。
ものに動じない気力。きもったま。・・・そんな意味です。
どんなにステキな人生理念を掲げても、
正論をかざしても、
この胆力を持たなければ、それを最後まで貫くことが出来ないからです。
人生で必要なこと、味わうべきこと(喜怒哀楽)は本当に多く、
求めれば、求める程・・・考えれば考える程、
そしてやればやる程、底なしに深みを増し、
磨かれ、輝いていきますよね〜(%ニコ女%)(%星%)