美容院にて 〜自分のことは分からないように出来ている「無知の知」〜

最近時間がなく、

伸びに伸びまくった髪をバッサリ切りに行きました(%笑う女%)(%王冠%)

鉄仮面をかぶってる勢いで重くて視界を遮っていた髪がなくなり、

気分爽快☆すっきりしましたぁ〜!

髪を切ってる時は、大学生の時からお世話になっている

美容師のおにいさんと、ひたすら会話しているんですが、

その中でおにいさんが…

「大橋さんって、自分を知ってますね」

とおっしゃいました。

私は・・・

「私は人様のことは“人生の行”を通して、

だんだんと見えて来ましたが、

自分のことは未だにサッパリ分かりません」

と答えました。

そうなんです。

私は私自身のことは、四国遍路行を満行しても何しても、

分からないんです。

分かっていたら、もっと器用に人生を歩めておりますヨ〜(苦笑)。

軽くなったアタマを持って電車に乗るべく歩いてますと、

ふっ・・・と下記の言葉が降りて来ました。

「自分を知ることは“自分のことは分からない”ということを知ることである」

その瞬間、カミナリがアタマの上に落ちた感じでした(笑)。

偉大な哲学者・ソクラテスが「私は“無知の知”である。

しかしながら、殆どの人間は“無知の無知”である」と言ってはったそうです。

「人間(私自身)は無知だということを知る」

「人間は愚かな動物であることに気づく」

そして

「“天”はあえて、自分自身のことは分からないように、

人間を創った…ということに気づく」

…これが“無知の知”の境地なんだと感じました。

以上のような真理を的確に掴んでいない人間が、

“天狗”になったり、逆に自分を卑下し過ぎたりして結局、

自分自身の手で人生を不幸にしているんやと思いました。

また「“天”は、あえて、自分自身のことを分からないように人間を創った」

…その言葉の意味は、もしも人間が己自身のことを的確に分かっていたら、

人生に失敗は無く、苦境・苦悩・逆境・試練というたぐいの“苦難”もやって来ません。

つまり生まれた瞬間から“仏に成っている”…成仏の境地であります。

人間の人生にこの“苦難”がないと“幸福”もなくなってしまいます。

私たちは幸せになる為に苦難を味わう…行を積んでゆく存在であります。

つまり、人間は苦難があるから成長・精進出来、苦難があるからこそ、

それに相反する喜び・感動も味わうことが出来ます。

ですので人間がどれだけ進化しても「己を知る」ことは最

も難しいように出来ていて、その人間として最も難解な

「己を知る」ことが出来れば、人間は人では無くなって“仏”となり、

成仏出来るのだと思います。

この人生遍路道の究極…唯一無二の目的(ゴール)は、

この「人を知り」そして、「己を知る」(=万象を見通す)

ことなんだと思います(%笑う女%)(%王冠%)