「具体的な目標」を持つと・・・

毎度です〜っ(%笑う女%)(%晴れ%)

よしこちゃんチから、もよりの駅に行くまでの間にある

『植松観音堂』の入口に貼っている標語が

またまたイイカンジの内容でしたので、

ここで紹介させて頂きます〜♪

「人間は具体的な目標を持つと、

そてに向かって行動する意欲が湧く」

(八十歳エベレスト登頂 三浦雄一郎)

深いですね。。。

本気になる・覚悟が出来る・・・信念が確立されると、

不可能なこと(やってもないのに、「こんなこと絶対に無理」と思うこと)を

考えることはしなくなって、

「どうすれば、出来るのか?不可能が可能になるのか?」

このように考えるようになれるんだと思います。

このブログも、毎日書こう、書きたいなぁ〜って思いつつも、

「今日もあれこれすることがあって、書く時間がなかった・・・」って

反省する日々。。。(笑)

それは具体的な目標でも覚悟でも信念でもなく、

ただの・・・「願望」(だったらいいね)

なんですよね。

だから毎日書けない〜っ(%とんかち%)(%ショック女%)(笑)

こんな感じで、私の人生にもこんな「願望」が結構あって、

その中途半端感(煩悩的思考形態)が何とも言えない・・・

よろしくない感情を生み続けている訳です。

こんな中途半端な願望を、本気や信念というものに昇格&昇華させるか、

もしくは、完全に切り捨てるか?

どちらかなんですよね。本当は。

だけど私は、「AかBか」ではなく、「AもBも欲しい」と

煩悩&葛藤200%のよしこちゃんな訳です。

だからいつまで経っても中途半端。

私は自身の人生36年の間(っていうか、四国歩き遍路行)で

「人生の本当の目的は何かを得ることではなく、何かを捨てることである」

・・・ということに気付かせていただきました。

地位や名誉、物・お金、相手・周りの環境に対しての希望(欲求)・・・この手のものは、

生きてく上で必要不可欠な量以上のものを追い求めてしまうと、

その人の人生や周りの人たち、環境をも反比例するように

不幸になっていくという“真理”を掴むことが出来ました。

人様のそのような煩悩魂はよく見えます。

人や時代の「気(流れ)を読む」ことにより、

ふっとなんとなく、ざっくりと“真理(本音)”が見える瞬間があります。

そんな直観的能力も、四国遍路行によって頂いた能力であります。

(だけど、たまに見え過ぎて『諸行無常』を感じ、虚しくなりますが・泣笑☆)

だけど、さっぱり、自分自身のことは分かりません。

これは至難の業です。

これがいつも手に取るように分かったら、即身成仏(そくしんじょうぶつ)・・・

生きたまま成仏出来る域なんでしょうね。

これを実際出来たのは、この世においてはお釈迦様のみなんだとかっ★

自分自身が一体何を求めて生きているのか?

何のために生きているのか?

そんな具体的目標がさっぱり見えません。

常に葛藤・・・常に自分自身との戦いです。

敵は外に存在するのではなく、内に在ります。

だけど、わざと自分自身のことを見えないように

カミサマホトケサマ的存在は創造されたんだと思っています。

だって、分からないから、失敗する。

失敗するから、成長・進化できるんですよね、人間って。

・・・見えないなりに、そして曲りなりに

確実にその目標のゴールに向かって

歩んでいるという『手ごたえ』を今、感じているんです。

これは思考・左脳のレベルの話ではなく、

直観(直感)右脳レベルのお話しであります。

理屈なんてありません。そう思うものは、そう思う。これのみです。

「私は分かっていないのに、私は分かっている。」

一見矛盾したこんな言葉が、丁度いい感じで、

今の私を最も正しく表現しています。

こんな感じで、もう四国遍路行は終えたのに、

時々、まだ自分は1232キロの四国遍路道を歩いている

という感覚を感じ、歩いていた時のことを、たまに思いだします。

だから今でも、ふっと「また遍路道を歩きたい。

とにかくまた、あれこれじっくり考えたい・感じたい」と思う瞬間があります。

きっと、私が今感じている『問い』に対する答えは、

どこか遠くにあったり、他人様が持っているものではなくって、

全て己の心の中に有るということを、

直感的に私は分かっているんだと思います。

ってことで、自分自身の心を更に内観し、明確化して

「具体的な目標」を立てたいな〜って、

改めて思った標語となりましたぁ〜(%笑う女%)(%王冠%)