“笑う門には福来る”の科学的立証 〜枚岡神社「笑いの神事」〜

私が地元で入っております経営者団体

「八尾商工会議所青年部」

今年度9月度例会の候補(案)としまして、

「河内国一之宮・太古の聖域である枚岡神社で、

『笑いと祈りの実践』を通して、

人間力をアップさせて、経営力もアップさせよう!」

という、私の例会企画が委員会で採用されましたので、

委員会メンバーと、枚岡神社に行ってきましたぁ〜(%笑う女%)(%晴れ%)

中東宮司をはじめ、枚岡神社のみなさまとは、

私が“編集担当”を拝命中の、

大阪府倫理法人会の月間広報誌『なにわニュース』に

毎月素晴らしい倫理的な連載コラムを書いて頂いている関係で、

3年くらいお付き合いがあり、

また、枚岡神社の巫女体験(初級)も一度体験をさせて頂いて、

とても深いご縁を頂いており、

その素晴らしいご縁を、青年部の仲間&先輩方にも

『おすそわけ』したいと思い今回、この企画を思いつきました。

まず、笑うことでどのように人生や経営が良くなるかといいますと、

「笑い」は相手の心のわだかまりを溶かし、

周りの人たちを和ませていきます。

笑い(笑顔)は最良のコミュニケーションだと思われます(=ヨコの系列・つながり)

無垢な赤ちゃんの笑いがどんな人をも和ませるのが最たる例であり、

これは理屈ではありません。

人間というものは、そのように出来ているんです。

また、自分自身がずっと笑っていると、

自身の心身の調子も良くなって、元気になってきます。

まさに『笑う門には福が来る』状態っ(%ニヤ女%)(%星%)(笑)

ちなみに枚岡神社では、毎年12月25日に

『笑いの神事』というものが開催されており、

1000人近い人が集まられます。

その神事同様、ひたすら20分間、笑い続ける!ということを、

青年部の例会で実践させて頂きますっ(%笑う女%)(%笑う男%)(%笑う女%)(%笑う男%)(%笑う女%)(%笑う男%)

もともと「穢れ」とは、「気枯れ」(気が枯れる)から来ている・・・と

枚岡神社の中東宮司はおっしゃられていました。

気枯れ=元気がない

だから悪いように考えてしまい、心から邪気が漂い出て来て、

ますます不幸になっていきます。

それが「病気」(気が病んだ状態)です。

それを“絶対的&普遍的な神(大自然・大宇宙)の霊気”というものを借りて、

自身の“気”を“元”に戻す・・・そしてまた“元気”(元に気になる)になって、

毎日素晴らしい働き・人生を歩み続けるという意図があります。

一方、祈ること(信仰心を持つこと)によって、

どのように人生や経営が良くなるかといいますと、

笑いは、今側にいる人(家族・社員・お客様などなど)の間で

活用できる最良のコミュニケーションの方法ですが、

この祈りというのは、

例えば、ご先祖様であったり、尊敬する歴史上の人物であたり、

遠くに離れて暮らす愛おしい人であったり・・・

自分の側にいない人やもの、現象、環境に対しての

最良のコミュニケーション方法で、

その祈りという手を合わせる行為・・・

別々の2つの手の平を、真ん中でぴったり合わせることが、

その見えない祈りの対象物と「繋がる」サインであり、

ラジオをONにした瞬間、ラジオ番組が聞こえて来るように、

その見えない・側にない対象物と繋がることが・・・

コミュニケーションすることが可能になります

(=タテの系列・つながり。

※笑いという”ヨコのつながり(糸)”と、祈りという“タテのつながり(糸)”が

織物のように織り重なって、

その人その人の“心の布地”や人生を強く、そして美しくして行きます)

・・・この世に一度でも存在したものは、

生物学上、「死」というものを遂げたとしても、

精神学上は、永遠になくなることはありません。

永遠になくなる時は、

この世に存在する人間全員の記憶から、

その対象物の存在が消えた瞬間からであります。

以前、このブログにも書かせて頂きましたが、

人間は2回死ぬと言われています。

一回目が生物学上の死、二回目が、上記の精神学上の死であります。

私は一回目の死から、二回目の死までの間を

出来る限り長くするような生き方を今、目指しています。

(もちろん、一回目に死ぬ前まで・・・つまり今も重要ですが)

で、祈る・手を合わせ、見えない祈りの対象物と心を合わせ、

それとコミュニケーションすることにより、

どのようなことが起こるかと言いますと、

必要な時に必要なもの(物理的なもの、気づき、人との良縁など)が

バチっ☆と

昔から仕組まれていたように

与えられ続けるということが起こります(=要物必与・ようぶつひつよ)

私たちはこのような状況になった人のことを

「運の強い人」とか「ツキがある人」だと呼んでいます。

人生は、ひたすら修行(苦行)・・・

ひたすら自力本願(自己努力)が基本であります。

その基本的なことを一所懸命している上で、

上記のように、身の回りの人たちに笑いを与え続け、

そして、見えない対象物に祈りを捧げ続けておりますと、

(つまり、自分自身を含めて、万象全てに感謝の気持ちを抱き続けること)

そこに神が宿る・・・他力本願的パワー(=神風)が起こり、

その人に運とかツキといったものがもたらされます。

なかなかこの手の・・・カミサマホトケサマ系のお話しを

青年部の先輩方などに理論・理屈で説明し、理解して頂くのは

とーっても難しかったのですが(笑)、

私の人生36年間の経験からして、

結局、このような根本的なこと(人としての“あり方”。精神世界)を

的確に押さえ、実践しないと、

人生においても経営においても、真&永遠の成功って

得られないという真理に辿り着いた・・・

つまり、私自身の人生を実験台にして

科学的に立証出来、その確信が持てたので、

今回、このような例会を提案をさせて頂きました(%ニコ女%)(%音符1%)

こんな感じで、日々、

私が持つ良縁を人様に『おすそわけ』したり、

逆に『おすそわけ』されたり。。。

「いろんな人と出会い合っている」

という日々に感謝、感動の今日この頃でありますっ(%笑う女%)(%王冠%)

あと今日、枚岡神社にお伺いをさせて頂き、

ふっ・・・と

「人は敢えて不完全に出来ている」

そんなことに気づかせて頂きました。

私は常に完璧でありたいと思っています。

だけど、日々結構いろいろと失敗しており、

後悔と反省・・・さんげ(懺悔)・・・不完全な日々です。

有難いのは、人生や経営を崩壊させるまでの

大失敗はゼロだということです。

(もちろん大成功の時もあるんですがネ)

今日一緒に枚岡神社に行かせて頂いた

青年部の仲間たちも、みんな性格・性別も長所短所も

業種も会社規模も社内の役割もバラバラ・・・

ただ共通しているのは

「八尾を中心に商いをし、生活している」という立場と

「八尾をよくしたい」という想いだけです。

“人”という漢字がありますが、

2つの棒(線)が支え合って立っていますよね。

2つの傾いた不完全・・・対立した&バラバラな存在が、

支え合い助け合うことによって

この“人”という一つの漢字が形成されているように、

大きな輪を描き、一つになった状態が“和”というものであり、

その“和”というものが、最良の物事や時代を

創っていくのではないのではないかな?

・・・そんなこと、境内でふっと思いつきました。

更に深く考えてみますと、

棒1本が、垂直に地に刺さって立つよりも、

棒2本が支え合って地に刺さって立つ方が、

強風が吹いた時(苦難が襲って来た時)に、

倒れる可能性がぐっと下がりますもんね(^^)

その最たる例が、「子供」なのでしょうか?

赤の他人で、DNAや生活環境、価値観、そして性別が違う男女が

合一することによって、子供というものが生まれてきます。

人間ひとりひとりがバラバラになってがんばっても

力は「1」にしかなりません。

だけど、組織と呼ばれる2人以上の人間の集合体が、

その組織のミッションやリーダーに向かって

心を合わせ“和”を描いた瞬間、

上記の「祈り」と同じ状態が起こり、

そこに“神風”が吹いて、例え10人の組織であっても、

10ではなく、100や1000、10000以上の結果が現れると

私は自身の経験により、確信を得ています。

(その体験談は後日ご報告いたします^^)

そこまで分かる・見えることが出来れば、

自分自身の不完全さや失敗も、

ちょっと許せるようになって来るから不思議です(笑)。

これからも、仲間とともに、心一つに

あれこれとステキな旋風を起こして

参りたいと思いま〜す(%笑う女%)(%星%)