昨日、阪急電車・神戸線沿線に用事があり…
しかも使用期限迫る阪急の回数券が余ってたんで、
5年ぶりくらいに尼崎市北部にある
大型ショッピングセンター“つかしん”に寄ってみました(%ニコ女%)(%星%)
今から18年前・大学一回生の夏から25歳くらいまで
私はこの“つかしん”で働いていました(アルバイト→契約社員)。
当時ここは“西武百貨店つかしん店”で、
その屋上に某企業がテナントとして入り、
子供&ファミリー向けの“屋上遊園地(ゲームセンター)”
を運営していました。
今は6〜7年くらい前のつかしんの大改造工事により閉店され、
フットサル場になっています。
尼崎の北側・伊丹市にある芸術短大に通い始めた時は、
今正に仕事としてやっています
「グラフィックデザイン(広告デザイン)」を学ぶために入学したんですが、
短大で学ぶうちに、インテリアデザイン→
建築デザイン→公園&庭園デザイン、都市計画・環境デザインへと、
より三次元&より公共的な設計(デザインへと)関心が移り、
短大を卒業後、京都の芸大に
環境デザインを学ぶために、3年次編入しました。
なぜ私が環境デザインに目覚めたか?
…今辿ると、この屋上での職歴・経験がかなり影響し、
また今「企業家」としてやっているのにも直結しています。
つまり、「みんなが楽しめ、憩える・・・幸せを感じ合える場所を創りたい」
って思ったからです。
今は、グラフィックデザイン業が仕事となっていますが、
その想いは今も、仕事においても、ボランティア活動にも
継承され、だんだんと精度が上がってきています。
・・・その職場は、スタッフとお客さんが直前接し合う
「B to C」の接客業でした。
自分たちが創意工夫をして、お客さんのため&
会社売上のためにやったことの『結果』がすぐに
お客さんの言動(空気)や売上金額で分かるんです。
退職するまでの数年間は、店長の下で“ナンバー2”として、
お店のある部署の企画から仕入、売上利益・管理まで
経営的な部分を一手に任され、責任があり充実し、
『経営』というものの楽しさに目覚めた瞬間でした
(現在も一人で貿易商をやってる父の影響もあり)。
ただ、最後に転勤でやって来た店長
(母体企業のオジサマ社員)とウマが合わず楽しくなくなり、転職しました。
この時程、
『能力(器)のないリーダーの下で動く組織員になることの虚しさ』
『“組織の一員”として生きることの辛さ』、そして
『フツーのサラリーマンやOLとして生きることの窮屈さ』
を感じたことがなく、
今一人で、職人の如く、お仕事をさせて頂いている
原体験・原動力になっています。
だけどこれも今思えば、このオジサマのおかげで転職を決意し、
そして28歳の起業へのきっかけとなりました。
ずっとウマの合う店長だったら、ダラダラその会社で働いていたかも知れません。
だから
『第三者がどう評価しようとも、現在・過去・未来全てにおいて、
人生には無駄なことなんて何もない!』
って、今なら断言出来ます(%ハート%)
ほんと、全てが“ありがたい(有難い)”んです(%笑う女%)(%王冠%)
…こんなかんじで、思い出の場所で
“温故知新”してますと、
その職場の元同僚二人の結婚が決まった!
とメールが来ました☆
この神業的&絶妙なタイミングで連絡が来ること自体が、
私が今こうして曲がりなり&試行錯誤しながらも
この『人生遍路道』を歩んでいる“正当性の証明”だと
私は確信を深めました。
最後の店長とはウマが合いませんでしたが
(年齢もみんなと離れてたしなー・笑)、
私以外のスタッフ全員もウマが合わず…幸か不幸か…
だから店長以外はみんな結束力があって仲が良く、
今でもたまに塚口界隈で『同窓会』をしています。
ほんと、かけがえのない仲間と経験を
たくさん頂いた場所“つかしん”。
これからもこんな感じで時々、帰っていきたいです(%ニコ女%)(%星%)