2013年夏・四国遍路行へ 〜お遍路ウォーキング③〜

国道沿いに柿の木がありました。

小さい青い実がついていました。

まだまだ猛暑で、まだまだ暑いんですが、

こうやって私たちの知らない間に

「秋」という次のステージの準備が着々と進んでいます。

ほんと大自然のやり方・あり方って、

とっても自然な流れで、さりがなくって、本当に勉強になります。

午前10時過ぎ。。。

だんだんと疲れてきて・・・

と同時にだんだんと雲が暑くなり、とうとう雨&雷状態。

しばし、小さな祠(小さな公民館つき)で

雨宿りすることにしました。

こんな時、「時間にゆとり」があることのありがたさを感じます。

前回の真夏の四国遍路行で無理なスケジュールを立てすぎて、

熱中症っぽい症状にやられ、バスに乗ったという

苦い思い出があるので、無理の無いスケジュールに変えたんです。

ほんと、失敗は一回でいい。学習能力が発揮出来ています(%ニコ女%)(%音符1%)

結局ここで20分くらい、ぼけーっと

降って来る雨を眺めながら待っていました。

すると、ふっ・・・と昔のことを思い出しました。

今はもう会うことのない、縁の切れた方々のことが

思い出されました。

「取捨選択」という言葉がありますが、

ご縁も全て自分自身が選んだもの。

その過去のご縁の選択があって、その結果が今、そのもの。

そして今の選択や判断の結果が、未来そのものになっていく。

そんな想いに達した時、一斉に蝉が鳴き出しました。。

蝉は雷雲が去ったことが分かったんでしょうね。

それから雷は一度も鳴らず、雨の止んでいきました。

なるほど。

やっぱり人間以外の生き物の勘が鋭い。

やっぱり、大自然から謙虚に学ぶべきものは多い。

ほんと、人間、傲慢になりすぎると、ろくなことがありませんよね。

しばらく歩くと、

ネコっぽい死骸が国道の端に存在していました。

もう「動物」という体裁ではなく、『ただの塊』の如く、

生きていた時の面影がなくなって、

座布団のように、ぺっちゃんこになっていました。

こんな感じで、人間もいつかは必ず死んで、

ただの塊に成って、あの世に魂が還る時がくる。

まさに、諸行無常・・・平家物語状態。

ぺっちゃんこになった・・・塊化したネコちゃんから、そんなことを感じました。

幸せも不幸せも永久に続かない。

不幸せでさえ、幸せだったと思える時がくる。

それが死ぬ時である。

「今生きてるからこそ、幸せも不幸せも味わえる。」

この真理・本質を常に掴んでおくと、

幸不幸という見せかけの境遇に惑わされ、一喜一憂することがなくなる。

この世は『一切が善』であり、心の中は“感謝”しかなくなる。

・・・また更に気づいたことがあります。

これも天の声でしょうか(笑)。

・・・物事の本質が分かってるから成功する。
本質を常に見極め掴んでいるから成功が深まってゆく。

そして人様に的確な判断アドバイスやサポートが提供出来る。

本質を見極める力…つまり、
ありのままを見る・見極める目(心眼)を日々養い続ける。
日々の鍛錬を休むと、溜めている水みたいに澱んで腐ってくる。

次に第一感(直感力・直観力)を養う。
物事の本質、状況を的確に把握し判断し続ける。

その判断に基づいて、的確な言動をし続ける。
(必要なことをする&余計なこと・“役越え”はしない。)

(以上の作業を繰り返すのが人生そのもの)

最初&全ての根本は「すなおさ」。
ありのままを見る・ありのままの言動に移せる心の器。

人間からすなおさを奪っているのは“我”である。
煩悩をわるい方に使っている有様である。
人間にとって煩悩自体は善でも悪でもない。
中性のものであって、使い方がよければ“善の行い(徳)”となり、
わるければ“悪い行い(罪)”になる。

“我(煩悩のわるい使い方)”の本は『愛欠乏症』という、
一種の心の症状・病気であり、それが一切の“苦難”の本になる。

『愛欠乏症』は、自分自身が生まれる前から、
または生まれ後から両親をはじめ、
自分以外の外部環境から与えられた“試練”
(自分をよりよくさせる為のチャンス)である。

これを生きている間、一つ一つ『苦難』となって
襲って来るものを手掛かりに解消・昇華していく。

それが人生修業の正体である。

それから、感情(特にマイナス感情・人の心身を傷つける感情)を
コントロールする方法は、心理(真理)を体得するしかない。

人を応援し、助け救うためには、出来る限り自身が持っている、
“物心両面の荷物”は軽い方がいい。だから私は出来る限り物は持たない。
人間関係も広げ過ぎない。
そして自身で“組織”というものを作らない。

器や力のある…たくさん持てる人は、
頑張って少しでもたくさん持とうとするが、無理し過ぎると病気になったり、
周りの人たちの心身に負担になり疲弊・崩壊する。

理想なのは、“適正な組織”をつくることである。
組織員みんなで、個性に応じて荷物(役割)を分担することである。

・・・人生の荷物は軽い少ない方がいい。
例え津波がきて無くなっても、
持っていない分、物理的精神的ダメージが少ない。

・・・冴えてます、よしこちゃんっ(%ニヤ女%)(%晴れ%)(ある種、変人化?笑)

ってことで、おかげさまでなんやかんやと

16時前に、民宿に到着しました!

昨晩、鯖大師さんでは、宿泊客は私だけで、

お寺の宿坊が貸しきり状態で、自適悠々状態でしたが(笑)、

今晩は、茨城県からお越しの団塊世代の歩きお遍路の

おじさまと、サーファーっぽい団体さん4人と一緒でした。

さすがに、お遍路さんは今、閑散期なんで、

お遍路同士のご縁はあまりないですが、

今日もいろんな方の日常生活を垣間見させて頂き、

また生活の中に登場をさせて頂き、本当に充実した1日となりました。

こんな感じで、真夏の時速4キロの旅修行は、

まだ少し続いていきます。

この国、この四国の何気ない風景、人の営みに、

感動&感涙していると同時に、

歩いていると、ふっと何もなにのに、

「うれし泣き」と「悲し泣き」を同時にしている自分がいたりします。

「うれし泣き」と「悲し泣き」を同時にするのは、

きっと日常ではないと思います。

これを突き詰めてみますと、

生きる喜びと、生きる哀しさ・侘しさ・虚しさを同時に

どっといっぺんに感じるという不思議な感覚です。

「生きる」ということは、喜怒哀楽全部の感情を織り交ぜて

紡ぎだされたものだと思います。

だから、うれしいし、かなしい。。。

何とも言えない、『万感の境地』です。

この何とも言えないあらゆる感情を超えて・・・超克すべく、

人生修行を重ね、どう解脱&成仏をして“逝く”か。。。?

これからも、その問い・・・それを極める遍路道は続きます。

ってことも、明日もハリキッテ歩きま〜す(%笑う女%)(%晴れ%)