再度、結願へ ③

とかなんとか考えているうちに、

88番・大窪寺手前8キロの本格的な坂道に入ってきました。

そして足も痛くなって来ました。

あれこれ考えるのも面倒になってきて、

足元を見ながら・・・時々顔をあげながら、黙々と歩き続けました。

ここからがホンマの修行のスタートです(笑)。

しんどくない・楽しいのは修行ではありません。

苦悩・苦難があって、

はじめて修行というものが成立するんやと思います。

そんな苦痛の中から『何か』を得たり、捨てたりし、

自分自身の心をじわりじわり・・・もしくは一瞬にして

変えて行くんです。

だから人間は「苦」というものがないと進化・成長出来ないんやと思います。

「楽」ばっかりだと、人生がだれてしまってよくないんやと思います。

水戸黄門の歌で「人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪」とありますが、

まさにその歌の真意がよく分かります(TV番組は終ってしまいましたが)。

苦があるから成長出来る。苦があるから、楽に感謝出来る。

さりとて苦ばかりだと、人生しんどいばっかりで生き甲斐がない。

楽と苦。相反する要素(陰陽)があるからこそ、

人生がより彩りが増し、豊かになって行くのではないでしょうか?

黙々と歩いてますと、とうとう夕日になりました。

すると今度はおばあさんに話しかけられました。

「こんくらいの、小さい犬、見なかった?」

って、さぬきに人たちって、

お遍路さんにお尋ねばっかりして来るんですね(笑)。

しばらく歩くと、そのおばあさんが探していたっぽい犬が

前からやって来てその先を見ると、

待ちこがれた、懐かしい景色が見えました☆

あ・・・。着いた!!

88番・大窪寺の境内に入った瞬間、

ナンバープレート88の軽自動車が去って行きました。

よし!!リベンジ、達成!!

お遍路コンプレックス、克服!!!

その瞬間、今まで肩や胸あたりにあった

“心身の重心”が一気に腰あたりまで落ちたようでした。

腰あたりに重心があると、少々横風が吹いても、誰かに押されても、

一瞬はぶれますが、すぐ元に戻り、コケたりしなくなります。

そんな精神的な状態を「信念の確立」というのでしょうか?

40歳を3年3ヶ月後に控えて、

だんだんと芯はしっかりと成って来たという手ごたえがあります。

それもこの歩きお遍路のおかげです。

と同時に、だんだんと人を許す・認めるという許容の精神も

ちょっとずつ広くなって参りました。

私はこの四国遍路道で、歩きお遍路という修行を通して、

一つずつ必要なものを得、不必要なものを捨てて来たんだと思います。

来年は弘法大師空海がこの四国の道を創って1200年になります。

帰りのバスの運転手さんがおっしゃっていましたが、

来年の四国遍路バスツアー(関西大手電鉄系旅行会社の)は例年の4倍の

申込みが既に入っているんだそうです(驚)☆

なんか、とてつもない数字ですが、

だけど、1人でも多くの人たちが、人生の中でこの四国遍路道を体験され、

四国の素晴らしさ、そして自分自身の無限の素晴らしい可能性に気づき、

自分自身の人生をよりよくして、そしてこの国が地球がよくなって欲しいと

願っています。

大窪寺で記念撮影をし、お参りをさせて頂きました。

お寺が閉まる前で誰もおりませんでしたし、

般若心経にも力が入ります(笑)。

実は昨年、大窪寺下のお土産屋さんでお線香を買ったのですが、

キリがいいので、そのお線香を最後の残り・・・一気に50本程点火し、

大窪寺の大師堂のお線香を差す場所ド真ん中にブスっ☆と差して

「しばらく四国参りはしませんので、ここで先祖供養!

よしこちゃんのご先祖様、全員ここで供養します!全員、幸せになって下さい!」と

勝手に言い放ち、最後の最後、拝みまくっていました。

すると、アタマの頂点にポッと500円玉くらいの穴が空き、

その穴から綺麗な青空が見えて、爽やかな風が吹いて来た〜という

摩訶不思議で怪しい(笑)感覚を感じました。

その日はお寺側にある民宿八十窪さんに

泊まらせて頂きました。

ここは大窪寺の宿坊機能の委託をされているようです。

(元々は大窪寺に宿坊があったそうですが、なくなったようで、

その代わりをこの民宿がされているそうです)

<つづく>