5年程前に、知人のおばさまから
「私〜、マイカーで事故っちゃって、
車はボロボロになってんやけど、カーナビだけ
無事やったから、ずっと家に置いてたんやけど、
新車にカーナビついてたし、ずっと放置しっぱなしやったから
あげるわ〜!」って譲り受けたカーナビが
いよいよ反応しなくなって、壊れた模様っ(%とんかち%)(%痛い女%)(%涙%)
ほんと、今まで一緒に旅をした同志・・・
今まで、本当にありがとう(%笑う女%)(%晴れ%)
ってことで、ボチボチ新しいものをゲットしようと思っています。
てな訳で最近はカーナビに頼ることなく、
運転をしている訳ですが、事前に調べてはいても、
知らない場所では、あれこれと迷う始末っ(%ショック女%)(%涙%)
(※私はスマホを持っていないので、パソコンで調べた地図を
プリントアウトして、運転しています)
先日は友人と京都に行ってたんですが、
ちゃんと目的地に着くか、ハラハラ☆ドキドキの連続デシタ。。。
だけど、昔、カーナビが無かった時代って、
運転する父親と、助手席に乗る兄とかが地図を片手に
あっちこっち行き、道を必死で覚えていたことを思い出しました。
そんな意味では、ベンリな世の中になって
ますます人間の脳みそが使われなくなっているんやなーって
実感しました。
ほんと、車を運転しながら目的地を探していくって、
めちゃくちゃ脳みそ、使いますよね(笑)。
ベンリなことって、本当に素晴らしいことなんですが、
ベンリ過ぎるのもある意味「毒」だということも分かりました。
壊れて・無くしてみて、はじめて分かる
存在しているということの「有り難さ」を
ひしひしと感じている、今日この頃です(%笑う女%)(%王冠%)