気づき⑨「因果応報 〜縁について〜」

<香川県庁の後藤さんをはじめ、うどん県のみなさまと♪→>

人生は広い意味での『一期一会』の集積です。

“縁”とは天から与えられた、また自分の意思で呼び寄せた

『人生修業の素材(ピース)』だと思います。

“縁”という人生の数々のシナリオは、

数珠のように人生という一本の糸で繋がっていて、

また天と自分との合作シナリオの短編映画のようなもので

あろうかと思います。

人は縁によって磨き高められてゆきます。

また堕ちてもゆく・・・。

良縁も悪縁も、その人や家系、組織、国家地球…

全てをよりよくする為に起こるものであり、

コインの裏表のような『表裏一体』の体を成します。

<倫理法人会・森さんファミリーと♪→>

俗に言う悪縁(苦難)は、

その人の悪い心を元の良い状態に戻す為に起こるものでありまた、

その人をよりよい心にステップアップする為に起こる。

だから悪縁を良縁に変えるのは、結局のところ自分自身(の心)である。。。

人生修業において、その中心にあるのは『感謝』という概念・観念であり、

人生とは『感謝行』…つまり『どれだけ深く感謝出来るか?』…だと

私はだんだんと掴めて来ました。

今自分自身が持っている有り難いこと・ものに感謝を深め(感じる)、

高める(発心する。感謝の気持ちを言動で表現する)…

それが修業の真髄であり、

そして人生の真髄(人生の目的)なのかも知れません。

雄大なる宇宙〜人生修業を、

コンパクトに分かりやすくしたもののが、

この四国遍路修業だと私は見ています。

四国という島を、『自分の心の中全部』と見立てて、

その四国をぐるりと一周回ることによって、

自分の心の中を一つ一つ見つめ直してゆく。

四国という美しい外観世界をゆっくり歩くことによって、

ゆっくりと究極の内観をさせて頂くのが、

四国遍路修業の根本なのではないでしょうか。

<引田大先達と♪→>

自分を深く感じれば感じる程、自分は雄大なる時間を越えて、

何等かの意図や想いを抱いて、

この世に生み出された“魂”を持った存在だと気付き、

そこから自分=両親、祖父母…『先祖供養』に

遡ってゆくのではないでしょうか(恩の遡源)。

また今生きている自分と

自分以外の存在も全て、見えないところで繋がっている…

ということも見え、自他双方の幸福を祈るようになってきます。

“深さ”は、“念(今の心の有様)”が

心の奥深くにアプローチ(インプット)し、形成され続けます。

また“高さ・高まり”とは、その心が外部に発心(アウトプット)され、

言動に成ってゆく。

根がはり深まる程、枝葉が高まり栄えてゆく。

深く行く程、土は固く光りは届かないから、

深く根を伸ばすのは難しい。

だから人間は見た目に囚われると根が浅くなり、

枝葉を伸ばすことしか関心が向かなくなる。

順調な時はそれでも問題は起こらないが、

何かが起こると簡単に倒れてしまう。

人間は厳しい試練(苦難)でたくましくなり、

感動感謝で心が優しくなってゆく。

この相反する2つの心の修業を交互に行うことにより、

人間は深まり高まってゆく。

『感謝』は今お世話になってる人や物、

境遇・環境という身近なところから始まり、

やがて自分自身の心身…親祖先へと、

見えないものへ『おかげさま』に繋がってゆく。

ここまで感謝が深まれば、

幸福満足度が人生がケタ違いによくなってゆく。

見えない『おかげさま』の力が、

今までもいつでも、そしていつまでも今自分自身を支えてくれている…。

この目には見えない『おかげさま』を感じる能力が、

幸福を感じることの出来る根本的な感性であり、

菩提・仏への道のスタート地点であるのではないでしょうか。

『縁に彩られた・もたされた感情が、愛であり、苦しみであり、人なのでは?

世の中は修業の場であり、全ては縁によって教えられ、気づいてゆく。』