男という性(さが)についての考察

<写真:都会の中の公園で蝶々を追いかける少年>

ご承知の通り、世の中の人間は基本的に

男性と女性に分けることが出来ます。

私は生物学上&戸籍上、女性のカテゴリーに入ります。

ですので、女の性(さが。特徴)は何となく分かります。

しかしながら、男の性については、

遠方の山を双眼鏡で見るが如く、

見た目のカタチとか、表面上のこと・・・

そしてごくごく一部のことしか分からず・・・

この難題な「謎解き」の観察並びに考察をしたいと

すっと思い続け、いろいろと試みている訳ですが、

なかなか上手くまとめること(文書化)出来なくて

自身の無知さとの葛藤の日々が続いておりますが、

おかげさまでやっと表に出せそうな文言が一部完成しましたので、

私の身勝手で主観的な考察の一部をここでお伝えしたいと思います。

【男という生き物】

(※男性的生き方を選択した女性含む)は、

一般的に本音(今ある自分)と

建前(なりたい自分)との狭間で常に葛藤し、

その過程(修業)の中で、

だんだんと自分自身のあるべき姿が見え、

軌道修正しまた他者(外部環境)との調整や調和を図りながら、

自分自身(内部環境)のあるべき姿に気づき、

実際にそう成って行くような“性(さが。性質)”を

持って生まれて来ているような感じがしています。

男性は女性と違い、体力があるので、

歯をくいしばり睡眠時間を削ったり

全力疾走で長時間走ったりが比較的出来るようで(だから無理が利く)、

その働き(エネルギー)が自分自身の人生だけでなく、

周りの人たち・社会に波及していくようです。

ただ間違った方向に男性のエネルギーが

向いてしまうと(悪・罪のエネルギー)、

周りや社会に迷惑がかかり不幸に陥れたり(邪気の放出)、

自分自身が病気になり(邪気を受ける)、

人生の最期を苦しみと後悔の中で終えることになってしまいます。

この娑婆の世界には男性と女性という

“陰陽”(ワンセット)の性が存在し、

それぞれが役割分担をして世の中が成り立っています。

その性的上の役割分担がうまくいっている時は、

世の中もうまく回り生成発展しますが、

逆にそれぞれが役割をちゃんとこないてなかったり、

どちらか一方のエネルギーが強くて、

“偏り”が発生すると、社会(=家庭や職場など、

人間が2人以上集まるコミュニティ)全体も

様々なところで問題が起きてくるようです。

男女それぞれの社会的役割を一言で申しますと、

男性は社会に活力を与え(縦・活力のエネルギー)、守り戦う性。

女性は潤いや安らぎを与え(横・調和のエネルギー)、産み育てる性です。

それら縦横のエネルギーがバランスが取れていれば、

美しい織物のように、素晴らしい布(社会)に成って行きますが、

自己中心的に我が儘勝手に良からぬ方向に動いたり、

どちらかが強かったり弱かったりすると、

美しい織物は創造して行けません。

現代の日本は、若い世代の男性の男性性が

“ある事情(ある人たちの意図)”があり、

全体的に育まれていなくて男性性を『骨抜き』にされて来てしまったので、

男性的エネルギーが弱い社会(時代)です。

だから私のような男性的なエネルギーが強い女性たちが、

男性化して、その弱くなった分をカバーし、台頭して、

『女性の時代』に成っている訳です。

幸か不幸か…今はそんな時代です。

従って男性性の乏しい男性は、精神レベルにおいては「女性」ですので、

女性から見て魅力的に感じず、結婚は難しいようで、

社会の片隅で、「必要とされない」という劣等感と共に

静かに暮らしているように感じる…

哀愁を背中から放出している独身男性を時々見かけます。

(※同じ独身であっても、そんな生き方が向いている方は

悲壮感ゼロで楽しく人生謳歌されており、独身=悪いことでは決してありません。

なんてったって、私自身も37年間ずっと独身人生です〜・笑)

男性化した女性は、精神的に男性なので、

男性性の開花している男性には魅力を感じられず、

逆に「あいつらは可愛いげがない。警戒せなあかん。負けてられない」と

ライバル視しているようです。

私は男性化した女性のカテゴリーに入るので、

心身共に若く負けず嫌いの男性的男性の一部からは、

警戒心(邪気のようなもの)を感じます

(そのような男性の前では、すかさず『オンナ』に戻って、

対立を避け、調和する術を現在勉強中です・笑…

私は『対立(争い)』が好きではありませんので、

私がオトナに成り、男女コンビになって、調和しにかからないといけません。

ほんと日々修業です =人=〜♪)。

結婚(合縁)とは『陰陽の合一』であります。

何らかの要素の陽陰の度合いが合い、プラマイゼロになる人同士でしか

結ばれないようになっているようです。

(※これは男女の結婚だけではなく、ビジネス等、

全ての出会いに当てはまる「合縁の法則」のようです)

それが『物事の摂理』であり、曖昧な非科学的なものではなく、

摂理&大自然の法則に乗っ取った超科学的なものであります。

ですので、的確に把握しておくべき大切なポイントは、

生物学上の性別ではなく、精神&心の性別(陰陽度合い)のようです。

【今度は別角度から考察してみたいと思います】

・・・個人差(性格の差)は大いにあろうかと思われますが、

男という生き物は、「プライドの塊(カタマリ)」のようです。

プライド=誰が何と言おうとも絶対に譲れないもの。

一歩も動かないという、こだわる『何か』を中心軸に置いた生き物のようです。

だから一歩でも1センチでも動いてしまうと、

プライドが傷つき、自分が自分で無くなってしまうようです。

(つまり、人格の否定や崩壊を意味する勢いのようです。

ちょっと女子には理解し辛い特質です^^;)

そんなにこだわっている『何か』が、

男性を男性たらしめているものだと思われます。

一見カタマリで『鉛』の如く、どんなに突風(苦難)が吹こう(起ころう)とも、

一切動かないように見えて、実は中身は結構空洞だったり(笑)、

ゴムマリのように繊細で壊れやすい状態だったり(更に笑)

しているようです。

だけど、男たちは自分は鉛だと外部にアピールしています(建前)。

だけど同時に男たち自身は、自分達の中身が結構空洞があったり、

ゴムマリだということも知っています(本音)。

つまり自分の弱さをそこそこ把握した上で、

その弱さを絶対に外部に見せない・隠したいようです。

(何かの拍子でぽろっと本音を他者に出す時もあるようですが)

それが男性のプライド(中心軸)であり、性の根本であります。

だけど人生は、風の吹かない日・苦難の無い時はありません。

びゅんびゅん吹いて、ゴムマリ・・・いや(笑)、

鉛がどこかに吹き飛ばされそうです。

男たちは、一寸も動かないように、

自分が手にしたテリトリーを守るために必死な訳です。

ノラ猫の縄張りを他のノラ猫から守るような心境ととってもよく似ています。

同じ男性同士では競争、競争でその鉛をぶつけ合い

火花が飛び散って、へコンだり、ヒビ行ったり・・・

さりとて他人(特に女性)には、凛とした美しく重厚な鉛を

演じ切らなくてはいけません。

私はそんな男性が持つ性に対して、

「そんなん、大した実力もないクセに、無理して頑張らなくてもええのに〜

デコボコ鉛、そのまんまを曝け出して生きれば人生ラクで楽しいのに〜」って

正直、「悲しい性」だと哀れ同情し、そしてチョットどこかで見下していました。

だけど、その性は「悲しい性」でもあるのですが、

男性からすると「美」そのものであり、「生」そのもの

だということに、ある瞬間、私は気づいた次第です。

世の中(社会)において男性の役割は、健全な競争を通して活力を生み出し、

女性の役割は調和精神を通して、潤いや癒しを生み出します。

カミサマは本当にうまく役割分担を創っておられます。

その社会的役割である「活力」を生み出すために、

男性のその「悲しい性」が、それを生み出す為の

根本的なエネルギーに成る訳です。

「人よりも優れていると思われたい」

「社会から賞賛を受けたい」

「女性にモテたい」

これらのエネルギー(感情)を悪い方に使うと、

ただの煩悩に支配された哀れな“ヒト”(動物的ヒト)に成り下がる訳ですが、

このエネルギーを社会を活性化させるために

良い方に使うと、煩悩(罪)は昇華され、

結果、人よりも優れて来るし、賞賛も受け、女性からもモテるようになります。

煩悩自体が「悪」なのではなくて、

煩悩を悪い方(つまり、自分の幸福のためだけ・

自分の欲求の解消のみに使う)に使うことが悪(罪)であり、

良い方(自分と共に誰か・社会全体のために使う)ことが善(徳)に

なっていくようです。

ですので、例えば、性欲が強烈に強い男性は

つまり生命エネルギーが強い。

年齢が行っても、お肉を大量に食べたりされます。

やはり、ライオンのように肉ばっかり食べていると、

肉食系の攻めの生活・人生に成っていくようです。

これは男女に共通します。動物的ヒトの性の一つであります。

その溢れるエネルギーをただ、オネーチャンのケツ(?)

追っかけていることだけに使っていたら悪です。

が、その煩悩を、自身の修行(徳積み)によって昇華し、

その強烈なエネルギーを、

ビジネス活動や慈善活動などの社会改善活動に

正しく向けることが出来れば、

事業、そして社会は、健全に&大いに生成発展していくようです。

ほんと、人間という存在は、シンプルなようでフクザツ、

フクザツなようで、シンプルなようです(%笑う女%)(%王冠%)