7月27日(日)、6日目。
やっぱり胃腸の調子がおかしい。
だるくて動きが鈍い感じ。
どうやら猛暑と、冷たい飲み物や冷房の
寒暖の物凄い差でやられたっぽい・・・(T0T)。
今朝で3泊させて頂いた、ひろきや旅館さんともお別れ。。。
かなりよくして頂いたので、
かなり名残り惜しい感じでした。
それに、いくら「修業」とはいえ、
重い荷物を背負って歩くことに
ちょっと憂鬱な気持ちでした。
ひろきや旅館さんから、
つくだにとおせんべいのお土産をお接待して頂き、
さらに、ナント☆お参りで要らない荷物を
今晩と明日宿泊する土庄の旭屋旅館さんに
持って行って下さると
申し出てくださったのです(T0T)!!!!!
ほんと、涙がちょちょぎれる程、嬉しく、
急に胃腸の調子が改善した気持ちになりました(笑)。
ひろきや旅館さんから7キロくらい離れた
第28番・薬師堂まで、旦那さんに車で
送っていただきました(*^^*)☆
ほんと、名残惜しい別れでした。。。
ひろきや旅館は、施設は古いのですが、
旦那さんとおかみさんの笑顔&ポジティブさが
強烈にいい感じの旅館でした。
今度また小豆島に行くご縁があったら、
また旦那さんとおかみさんに会いに行きたいです!
薬師堂に着き、空を見上げると
どんどん曇って来ました。
「やったー!今日はちょっと涼しい!」そう思ったのですが、
空の下には、標高300メートルくらいの山が
どーん!と聳え立っていました。。。(>0<)!!!
次の札所の第29番・風穴庵までの峠道が
上の方まで見えて、森の中に消えていました。。。
「今日はもっと最強の山岳霊場が2つもあるのになぁ・・・」
やっぱりまた憂鬱な気分に、胃腸が痛み出しました(!?)
胃腸の調子がベストじゃないので、どうも胆力が沸きにくい。。。
アニメ「ちびまる子ちゃん」に出て来る、
いつも胃腸が弱い「山根つよし君」の
あの暗くて縦線入ったキャラクターが
今の私はよ〜く理解出来ます(笑)☆
薬師堂でお勤めしておりますと、
一台の軽トラックがやって来ました。
一人のおばさまが降りて来られ、
「今から、村の仲間と薬師堂のお掃除をするんです」。
そのおばさまは、過去一回、小豆島遍路を車でされたことがあり、
私にとっても感心がおありだったようで、
「だんだん天気も悪くなって来ましたし、
掃除が終わるまで待ってくれれば、
車で風穴庵までお送りしますよ〜(^^)」とおっしゃいました。
な、な、なんという天使の声っ(^0^)!!!!!
しばらくすると、もうお二人、仲間がやって来て、
3人で手際よくお掃除されておられました。
お勤めが終わった後「私も手伝います」と言ったのですが、
「いいですよ、座っていてください」と言われてしまいました。
どうやら、『お遍路さん=お大師さん』という扱いなので、
絶対にお遍路さんには、そんなことをさせないという
信念がみなさんにおありでした。
20分くらいした後、
「お待たせしました、では行きましょう」と
一直線の峠越えの歩き遍路ルートではなく、
ぐるっと車道を回って、あっと言う間に
風穴庵まで到着し、お勤め♪
そのおばさまも私の声に合わせて
お経を唱えておられました。
するとおばさま、
「ここはバスが通るルートじゃないから、
バス路線の、次の札所(第30番・正法寺)まで
送っていってあげるよ〜」と言ってくださり、
また“ワープ”させて頂きました。
そのおばさま・・・
四国遍路もバスで周られたそうで、
だから私との共通の話題が多く、
軽トラの中では、大いに盛り上がりました!
さらに私は、ずっと気になっていた疑問(質問)を
そのおばさんにさせて頂きました。
「お寺」は、お寺が管理されていることは分かりますが、
「庵(無人の札所)」はどなたが管理されているのですか?
・・・という質問です。
おばさま曰く、
「私たちの村の庵(薬師堂)は、村の老人会で管理しています。
お賽銭や老人会のお金で、維持管理しています。
掃除などは全て村の人たちのボランティアです。
お遍路さんの多い4月と5月は、毎日のようにお堂に集まり、
掃除したり、お遍路さんに飲食物をお接待しています。
が、その他は殆ど来られませんので、
月1回、今日のように朝8時から集まって掃除しているだけです」
へぇ〜!!!と思わず納得☆
私はたまたま、その月1回の一斉清掃日&時間に
鉢合せしたようです。凄い偶然〜っ☆
にしましても、このような小豆島の住民の方々のおかげで、
私たちお遍路さんは、88ヵ所をちゃんと
お参りすることが出来ているんですよね。。。
普段は見えない「おかげさま」をまたここで
はっきりと見させていただきました(ー人ー)☆
第30番・正法寺に着く前、おばさまが
「小豆島を走る『オリーブバス』はバス停じゃない場所でも
手を上げてアピールしたら乗せてくれるから、
もしもの場合は、そうしてね。じゃ〜!」と
とっても有難い&役立つ情報を教えて下さり、
颯爽と去っていかれました。
ほんと、ステキな出合いをいただきました(ー人ー)☆
正法寺でお勤めをした後、
車でそこまで来たので土地勘がなく、
一体どっちに行けばいいのか分からなくなり、
お寺の前で、首を横に振りまくっていると、
ご近所のおじいさんが
「お遍路さーん。次はどっちの札所に行くの?」と聞かれ、
「次は、第31番・誓願寺です〜」と言いました。
すると、その会話を横で聞いていて、
今から車で出かけようとしていたおばあさんが
「ちょうど今からそっち方面に行くから、
乗せていってあげるわ〜」と満面の笑みで言われ、
またまたまた、車に乗ることにっ!!!
そのおばあさんも、異国人(?)の私に
とっても興味があったそうで、
5分くらいの短い間でしたが、あれこれ質問をされて来られました。
ほんと、ものすごい偶然で、
数珠繋ぎで3台の車に乗せて頂きました。
誓願寺でお勤めをしていますと、
じわりじわりと雨が降って来ました。
そこからはしばらく、傘をさして、
県道沿いの遍路道を歩いていました。
いくかの庵を打った後、
第33番・長勝寺に着きました。
そこに着いた時は雨が止んでいました。
そこで納経所におられた、
ご住職の奥さまがとっても有益な情報を教えて下さいました。
「あなた、今晩旭屋旅館に泊まるんでしたら、
わざわざ池田からバスに乗って、土庄に行かなくても
今日最後の札所まで、旅館のおかみさんが迎えに来て下さいますよ!」
え〜!そうやったんや〜(^0^)♪
さらに、車でかなりワープしたので、
かなり時間の余裕があったので、
奥さまと20分くらいお話しをさせて頂きました。
(右の昔のお遍路写真は、
ひろきや旅館に展示されていたものです)
奥様曰く・・・つい30年程前までは、
数百人規模の「講」がたくさんあり、
遍路修行の「おかげさま」を頂くために、
農閑期を中心に、島の外からぞろぞろと、
『歩き遍路』をしに来られていたとのことです。
(車やマイクロバス遍路はここ最近からだということです)
私がこの後に打つ「佛谷山」や「西ノ滝」の
涌き水は病気にきくと、
前日に皆が一升ビンを入手し、順番に汲んで行った。
が、だんだんと泥水になる。それでも汲む。
こして沸かして飲むとのこと。
いよいよ水が無くなる。
失望した人たちは、そこに空ビンを置いて帰る。
それを不憫に感じたお寺の方々は、
夜の間に湧いた水をくみ、講の皆さんが帰る客船に、
ビン詰めした涌き水を渡しに行って、
お見送りしたとのこと。
遍路に関わる全員がみんな素直に信心深く、
一体化して一つになっていたとのことです。
このお話しに、なんだか目頭が熱くなりました。。。
自分たちの努力ではどうしようもないことが
人生において必ずあり、
そんな時、私たち日本人は神仏に
「最後の望み」をかけて来た。
いにしえの日本人は、
自分たちの人生を、最後の最後まで諦めなかった。
やれるところまでやった。
殆どの人は平凡な中、ド真剣に本気で生きていた。
生き抜いて来た。
それに比べ、今の日本人はなんと、
人生や命そのものを軽んじているんやろう。
なんとすぐに諦めたり、
人のせいにし自分の愚かさを消罪しないのだろうか?
簡単に人(の心)を傷つけ、命を殺し、
また自分(の心)を攻撃し、自殺する。
人を殺す前、自殺する前に、
みんな遍路しに行けばいいのになって思う。
そんなド真剣に正に命がけで、先人たちは
今の私たちに命を継承して下さったにも関わらず、
私たちはその「恩」に報いるべく、
ド真剣に生きているのだろうか?
遍路道には、いにしえから幾百千の方々の
「念」が積み重なり、人生の根本(真理)が存在する。
歩くスピードで、だんだんと心が洗練され、
その真理が観えて来る。
新しい自分・時代へ進化すると同時に、
生命の源流へ環っていく(深化)。
人間を木に例えると、進化が枝葉であり、深化が根。
そして幹が今の自分自身である。
年輪を刻むように、少しずつ幹(心。精神性)を磨き高め、
精神を太くして、根と枝葉を繁らせてゆきたい・・・
と改めて感じた出合いでした。
<つづく>