大和川にまつわる二人の偉人に想いを馳せる

8月10日(日)。

大阪から台風11号が去った午後3時頃、

私が暮らす大阪府八尾市の南側を

奈良から大阪湾に向かって東西に流れる

大和川の近くを自転車で通りましたので、

ついでに川の状況を観察しに行ってみました。

普段は、ちょろちょろと少量の水が

川の底面に流れているだけなのですが、

今回の台風により、未曾有の降雨量ということで、

過去そんなに見たことない感じで濁流と化し、

堤防から中に入りたいと思わない勢いで、

すごいことになっていました。

私は大和川の堤防に立ちながら、

大和川にまつわる歴史的偉人二人に

想いを馳せていました。

まず、有名なのが、中 甚兵衛(なか じんべえ。1639〜1730)。

私が最初に中甚兵衛を知ったのは、

小学校中学年の社会科の副読本『わたくしたちの八尾市』です。

江戸時代初期まで大和川は、

柏原市で石川と合流する地点から、西の堺&大阪湾方向ではなく、

北側の河内国を北上し、河内湖(湾)というものがあり、

現在の鴻池新田あたりに向かって流れていました。

そのような流れは、今回の豪雨のようになると

川が度々氾濫し、多くの田畑・人命が失われていました。

中甚兵衛は、そんな状況を何とかしたい!と立ち上がり、

大和川の付け替え工事に奔走した人物です。

多くの人たちの協力を得つつ、

江戸幕府に大和川付け替えや治水計画を50年近くに渡り嘆願し続け、

そして、農民の身分でありながら、幕臣に交じって、

付け替え工事を指揮し、1704年工事が完成した

・・・という偉人であります。

そんな中甚兵衛の功績を称え、

今でも国道25号線沿い・柏原市役所近くの安堂の交差点には、

中甚兵衛の石造や石碑が建っていて、

「大和川付替記念碑公園」として整備されています。

詳しくはこちらをご覧下さい↓
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/jichisuishin/yamatogawa/yamatogawa.htm

二人目の偉人は、八尾市民でもちょっとマイナーですが、

西村 市郎右衛門(にしむら いちろうえもん)です。

先述の大和川の付替えにより、逆に

旧大和川流域の灌漑用水が少なくなってしまったため、

その地域の農民たちは

新しい大和川から平野川へ水を引くことを請願しました。

しかしながら、その懇願中に大きな旱(ひでり)に遭い、

農民たちは困苦にあえぎました。

そのため八尾・弓削村の庄屋であった西村市郎右衛門は

幕府の許可を待たずに二つの樋を開いて農民を救いました。

が、幕府に捕らえられ大坂城中で客死し、

家財没収・・・一家は断絶となりました。

西村市郎右衛門の生き様に感涙です。。。

そんな、市民国民のために命を懸けるリーダーって、

今の日本の政界に存在しうるのでしょうか?

結局自分が一番カワイイ輩ばかりでしょう。

娑婆の世界において、

最もダーティーな世界は、政治と宗教の世界です。

これははっきり断言します。

それが何故かと申しますと、

綺麗事を言い放つ世界程、それを扱う人間はダーティーになるのが、

娑婆の世界の本質であります。

(またそうならないと、そんな世界ではたくましく生き残ってゆけないからです。

真理を探究しそれを貫くことではなく、本音と建前をキッチリ分け、

TPOに応じてコロコロ変化出来る術・処世術が身について来るようですね)

つまり、口で綺麗事を言えば言うほど(陽)、

心の中や実際行動に移すことは、汚く穢れていくのです(陰)。

一方、ビジネスやヤクザの世界は、

陽の部分(表、見た目)でも、ダーティーな部分があります。

だから、陰の部分は意外と義理人情などの「美」があったりします。

陽が強い程、陰が強くなり、陰が弱いほど、陽も弱くなるのです。

娑婆の世界は陰陽のシーソーゲームです。

だからこそ、政治家と宗教家は凡人よりも

『修行(自らの心身の修養)』が必要なのです。

話がそれましたが・・・

当時、西村市郎右衛門がいた地域(志紀・大正地区)ではかつて

旧盆の頃に「功(講)念仏踊」を踊っていましたが、

これは市郎右衛門に偉業に感謝し、霊を慰めるためといわれています。

長い間途絶えていた、その「こうねんぶつおどり」を

最近、市民の有志が地元小学生を巻き込んで

復活をさせました。

詳細は下記のHPをご覧下さい↓
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1288

私がここで何をお伝えしたいかと言いますと、

そのような幾百千の偉人・恩人達の偉業や、

ご先祖様の子々孫々への『願い(念)』があるからこそ、

豪雨になっても、堤防が決壊することがなく、

私たちはノーノーと何事も無かったかのように

明日からも生きてゆけるという事実であります。

ほんと、感謝しかありません。。。

今をノーノーと生きていられるのは、

自分の努力だけではありません。

全て直系のご先祖様をはじめ、

多くの先人たちの『おかげさま』の力であります。

「当たり前」という傲慢な気持ちではなく、

「有難い(有ることが難しい)」という感謝&謙虚&素直な

気持ち・心境であります。

来週はお盆です。

そのようなことを肝に銘じて、お墓参りや終戦の日など、

心を込めて行い、感謝の念を持って過ごしたいと思います(^^)。