小さなことを疎かにしない人は、大きなことも疎かにしない。
小さな信用を疎かにしない人は、大きな信用も疎かにしない。
少額のお金を大切にしない人は、多額のお金も大切にしない。
地位や名誉のない人を大切にしない人は、地位や名誉ある人も大切にしない。
そして自分自身の命を大切にしない人は、他者の命も大切にしない。
人生とは結局のところ、小さいことの積み重ねであり、
『凡事徹底』であります。
信用もお金も、そして人生の幸福も、日々の積み重ねであります。
本来、短期間で得られるものではありません。
だけど、悪いことをして、それが無くなるのは一瞬であります。
一発どか〜ん!と当て続ける凄腕の人程、
日々の小さいこと・些細なことを大切にし、
どんな人でも公平に扱い、生きておられます。
(マグレで当てた凡事徹底していない人は、
テングになって、自らを滅ぼして逝きます)
真に凄い人程、すなおで謙虚で心が丸く、器が広いです。
私のような若輩者でも、一人の人間として尊重して接してくださいます。
・・・右上写真は吉野山のあるお店の写真です。
『恕(じょ)』と書かれています。
私なりにこの『恕』を解釈しますと、
全てを許す、許し切る。
全てをありのままに受け入れる、受け切るという
境地なんだと思います。
そこに感情というものは一切入っていません。
そこにあるのは「人生の歓喜(今、生かされている歓び)」のみであります。
この世に生まれて来て、死ぬまでの間、
何も起こらない・・・毎日幸福感で満たされることはありません。
(満たされることはあっても、『一瞬』であります)
辛いこと、悲しいこと、思うようにならないこと・・・たくさんあります。
それを、嫌だとか、しんどいとか、辛いとか
なんで自分だけこんなにしんどいの!?って人を羨んだり、
相手を妬んだり・・・
そのような出来事や、そこから発生する
「マイナス感情(恐怖心)」の一切を排除し、
「全ては、何らかの意味があって起こっているので、
(=自分や家系、周りの人達がよりよくなるための試練である)
それを真摯に謙虚に受け取り、
すなおになって人生修業に励むというスタンス(心境)が
『恕』というものなんだと思います。
その「全てを許す、許し切る」で最も重要なもの(究極)は、
他者でも境遇でもなく・・・自分、
『自分を許す』ということなのではないでしょうか。
ダメな自分、失敗する自分、短所を持つ自分・・・
いい部分(長所)もひっくるめて「自分」というものであります。
自分を許せない人は、他人を許せないし、
自らにふりかかる境遇も許せません。
全ては見えないところで繋がっており(全一統体)、
「鏡の法則」であります。
自分の「ありのまま」を認め、自分が自分を愛する。
自分自身を信じ切る、人生を信じ、希望を持つ。
そうすると、『鏡の法則』で周りの人もそうなってくる。
真の愛を発心すると、それが買えって来る。
真の愛が欲しければ、まず自分自身がそれを発心しなければなりません。
・・・まずは自分、
そして全てが、自分のその心次第・・・
修行の達成度合いで、それが変わって来るようです。
相手がどうこうとか、天気がどうこうとか、
そんなこと言っている間は、何も変わらないし、
何も善くなって参りません。
相手や境遇(天災など)は自分の力では変えれません。
自分の力で変えれるのは「自分」のみであります。
そして、真に自分が変わると、相手も変わり、
そして境遇も変わってきます。
(天気も変わってきます。そこが不思議です(笑)。
恐らく、天気が変わる『兆し』が直感的に観えて来て、
無意識にその兆しをキャッチし、その天気の変化に合わせた言動が
自然と出来るようになって来るようです)
最近、そんなことを感じています(^^)☆