赤ちゃんは生まれた時、どうして泣くのか? 推察

それは

オギャーって泣くと「生まれた〜」ということが

周りの大人達に伝わりやすい。

赤ちゃんの鳴き声は、声が通りやすい。

泣いていればよく分かるので

周りの大人達が「なんとかしてあげなきゃー」って本能的に思う。

(おかあさんは、産後で疲れ果てているので、あまり何も出来ない)

そんな『実用的な面』があろうかと思います。

一方、魂のレベル(精神的な面)で申しますと、

人生の歓喜と、これからの過酷な人間修行双方に対して、

万感の想いで泣いているのではないか?

ふっとそう思いました。

つまり、生まれて来たという歓びと、

これから過酷な人生修業を経て死に逝く哀しさ双方を

同時に感じているのではないか?ということです。

私がかつて四国歩き遍路をしていた時、

香川県・・・フィニッシュの前に・・・

何にもないのに、歩いている途中、

ふっと急にワンワン泣けてきた瞬間がありました。

悲しくも、嬉しくもないのに人は泣くんやな・・・

なんでかな?って考えた時に、

魂の深いところから、咳を切ったように溢れ出る

「万感の想い」を強烈に感じました。

素敵な映画や小説を観た時の

薄っぺらい・表面上の感動とはケタ違いの感動です。

自分自身の三十数年の人生で感じた量の感動を遥かに超えた、

何かもの深い感動(喜怒哀楽の感情)が

一気に溢れ出て来たという感じ・・・「これぞ、万感の想い」という感じです。

人間、一人で生きているようで実は、

直系のご先祖様含め、本当に多くの方々の想い、希望、志・・・

いろんなものを託されている、「人生のランナー」なんだ

ということを明確に気づいた・掴んだ次第です。

きっと、私のDNAの中に、いろんな人・時代の

『念(今の心)』というものが刻み込まれあるのだと感じます。

・・・赤ちゃんが生まれた瞬間、大泣きしているのも、

実はそんな同じ心境なのではないか・・・ってふっと思いました。

(本当にそうかは、知りません〜。あくまで「推察」ですヮ^^;笑)

普段「当たり前」だと思い、何も考えずスルーしがちなことは

たくさんあろうかと思いますが、

全てに原因結果、意味というものがあって、

その上で現在そう成っているものばかりであります。

過去(原因)のない今(結果)は存在し得ないのです。

些細なこと・当たり前のことに、全神経を集中させることにより、

大きなこと(物事の大局)や現在存在しないこと(過去・未来)も、

だんだんと観えてくる能力が増えて来ます。

感性(霊性)を冴えさせる方法は、霊峰(山岳修行)にもありますが

日々の修行の中にも存在いたします。

・・・先ほど、BS-TBSで、スペインの巡礼道

(サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路)のTV番組をやっていました。

何故人は巡礼の旅に出るのか?

形式や場所は違っても、古今東西・・・『根本(在り方)』は同じなんやと感じました。

このスペインの巡礼の道は、ヨーロッパ各地から西へ西へ行く道のようです。

地中海(西)の端から見る、沈む夕日に人間は死(終わり)を確信し、

と同時に「再生・復活」を固く信じ、逝く準備・心構えをするのです。

(もしくは若者が巡礼をする場合は、過酷な修行を通して

今までの自分を葬り去り、そして新しい自分を自らの手で誕生させるのです)

人生って、本当に深い味わいがあります・・・

だけどやっぱりシンプルでもあり、

そして底なしに、それらの陰陽の要素両面が無限に拡がっている・・・

無限の可能性を秘めた存在なのであります(^^)。