吉野山の風景♪

何度も、奈良・吉野山に行っているくせに?

こんな絶景場所があるとは知らず・・・(%涙%)(%ショック女%)(%涙%)

10月1日朝、仲良しのお食事処「静亭」

若おかみのみかさん&旦那さんと一緒に

吉野山の上にある・・・「花矢倉展望台」や

金峯神社など、連れてってくださいましたぁ〜(%笑う女%)(%晴れ%)

その展望台からは、

吉野山の町並みが一望できます(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)

その町並みの中心となっているのが、

修験道の総本山「金峯山寺蔵王堂」です。

千数百年の歴史がある・・・悠久の歴史を感じる、

何とも言えない、美しく雄大な風景であります。。。

桜の時期の絶景風景は下記をご覧下さ〜い♪↓

http://87yama.sakura.ne.jp/news/sakura-spot/hanayagura.html

金峯(きんぷ)神社も、吉野山の町からずいぶん上にあり、

神社やのに、見慣れた「鳥居」のカタチではなく、

行者(修験道)風景の似合う、棒2本に横棒1本の

シンプルなカタチのものです。

更に、本殿のお賽銭箱の横に蝋燭を立てる場所がありました。

神社で蝋燭を奉納するのは、今まで見たことがありません。

そんな感じで、神社一つ見ても、

神道と仏教が絶妙なバランス融合した・・・特有の文化・信仰を築き上げ、

継承し続けてきた、素晴らしい場所なんだと感じました。

右写真は、かつて義経が隠れていた場所↓

http://www.yoshinoyama-sakura.jp/temple/t_kinpu.php

もありました。

・・・今は、あまり人が来ない場所ですが、

かつての歴史の表舞台であり、

今と何ら変わりのない、脈々と続く、我々日本人の歴史(=生き様)の“残り香”を感じ、

何とも言えない、深い感動を感じることの出来る

素晴らしい場所だと感じました。

・・・私が何故この吉野山・洞川(吉野界隈)が好きかと申しますと、

1300年以上の歴史(その時代時代の人々の想い・念)が

大自然の念(気)と融合して、

何とも言えない、荘厳且つ鮮烈な気を放ち続けており、

(地場・磁場が他地域と全然違う)

その気が、私の中にある気と共鳴し、

私に生きる希望を勇気、覚悟など・・・

生きるためのエネルギーを、引き出してくれる場所だからです。

「なぜ、他地域とそんなに磁場や気が違うのか?」

恐らく(っていうか私は「確信」しています)

大峰山だけが伝統を守り、今でも女人禁制の修行の山だからです。

男の修業の場に女が入って来ると

男の気が乱れます。(=ぬるく&ゆるくなる)

男の気が乱れると、全ての環境の気が乱れ・・・

下半身の気(性欲という名の煩悩)がふつふつと湧いて来て、

邪気を放出し、それが行場に充満して来ます。

そして行場としてのレベルが下がって来ます。

そんなレベルの低い場所で行をしても、

「費用対効果」を考えれば、

清らかな場所で同じ行をするよりも、得られる効果のレベルが下がります。

ですので私は、大峰山の女人禁制を解きたいという

同性の団体の活動には反対の立場を取っています。

男女平等・公平の『根本』を履き違え、そこからずれて行くと、

日本・地球全体を潰して逝くのです。

男女でも夫婦でも・・・何でも絶妙なバランスというものがあり

「ちょうどいい」アンバイ(調和ポイント)があるし、

そもそも「使命・役割」は男女それぞれ違うのです。

(男女は同じ人間なので、同一の使命・役割もありますが)

男は、どう逆立ちしても子供・子孫を産めないのです。

産む性(役割)を持つ女が

男や家庭をほったらかしにして、

命の危険と隣合わせの行場にせっせと通って

どんどん死んでいったら、家庭が、地域が、民族全体が衰退し滅びるのです。

男1人、女100人だと、うまく行けば、1年弱で100人の子供が生まれます。

ところが

男100人、女1人だと、1年弱で生まれる子供はたった1人なのです。

男が少々多く死んでしまっても、女さえちゃんと生き残っていれば、

圧倒的な早さで元通りの人間の数に戻せる訳です。

それは自然の摂理・道理であり、それが『真理』であります。

そんな実利的な面(理由)からしても、

女は命がけで山で修行する必要はない訳です。

(そもそも、子供を産み育てること自体が、命がけの厳しい行であります)

・・・従って、志のある発展途上だと自ら認識する男は

もっと行をすべきかと思います。

女は山で修行する必要がないから、基本的にしなくていいのです。

男はブレずに一所懸命、女子供を命がけで守る性(使命・役割)なのです。

もしも女が山で修行をし、体力的・精神的に強くなったら、

男の役割は女に取られ、男がこの地球で

存在する目的・意義並びに価値がなくなるのです。

(今の、若い独身男女の間でも一部起こっている現象でしょう)

私は四国&小豆島での、自らの行を通して、そのことに気づいた次第です。

役行者をはじめとする古えの行者たちが

およそ1300年前、何故たくさん霊峰を探し当て、修行の道を開創したか?

現状を憂え、未来を案じた行者たちの想い(念)を

何とな〜くですが、私は観える瞬間があります。

先人たちは、行の道・場所を遺すことによって、

我々日本人に『未来を生きる希望』を残して逝ったのです。

・・・だけど、ここでちょっとした矛盾なのですが、

戸籍上「女」の私が、何故「行」に覚醒めたか?です(笑)。

(そんな“行ガール”が何故か今、結構多いんですよね〜♪)

ほんと、おかげさまで?せいで?

男という存在が重要でなくなってしまいました。。。

これはヤバイです・・・、ヤバイです(>0<)!

これは娑婆の世界に、どっぷり生きる私にとっては

ちょっとした大問題です(爆)☆

ここから、更に「深読み」なのですが、

時代の変わり目(終末期・変換期)には、女性優位・・・

女性が表裏・・・あらゆる舞台で活動するんだと思います。

それがどうやら「自然の摂理」なのカモ?と分析しています。

厳密に言うと、上記の「女性」とは、「男性化した女性」であります。

つまり、男性性と女性性という陰陽両方を併せ持つ人間であります。

女性性が得意とする智慧を使い調和力を世に及ぼして行きます。

及ぼし方は、男性性が得意とする行動、強靭な言動とい武器であります。

男性化した女性はその全ての能力を兼ね揃えているのです。

なぜ一部の女性が男性化するのか?

それは、一部の男性(40代真ん中以下の男性が殆ど)が女性化したのと、

多くの男性性(エネルギー)が悪い方向に向い、

世の中に悪影響を及ぼしていて(例:殺し合いの戦争や、自己快楽の充足など)、

世の中全体に本来あるべき、善い男性性のエネルギーが欠如し、

そのアンバランスさを元の善い状態に戻する為に、

一部の女性が男性化し、世の中全体の陰陽の調和を取り始めたのではないか?と、

私は自身の感覚と世の中の空気を元に、そのように分析しています。

・・・時代の成長期や安定期は、男性優位であります。

その方が日本では、うまく行くような感じがいたします。

智慧のある賢い女性が手のひらで、行動を得意とする男性を

陰でコロコロと転がしているというイメージです。

ところが、安定や成長は男性(人間)に心の緩み・スキや惰性、怠慢を生み、

次々とあふれて来る生命エネルギーの行き場を無くしていき、

やがて世の中がおかしくなって来ます。

世の中に蔓延り、世の中を不幸に陥れる、

イケテナイ男性(人間)のエネルギーの使い方・放出の具体的方法として・・・

【パターンA】口先・理屈ばかり&人の批判ばかりの、非行動・批判型人間

 (体力が一気に落ちてくる中高年の方に多い傾向。

老いた自分が思うように動けない・出来ないというもどかしさ・ストレスを、

未熟な若者に転換している部分も一部、漂って来ます。

そもそも人生経験自体が、質量共に全然違うので、

未熟に見えるのは当然であります。

温かい目で、愛を持って未熟な若者を育てるという

陰の役割に徹して頂きたいなと思います。

いつまでも「自分は現役や!」と、

いつまでも若者が活躍すべき表舞台を占拠するのは、

民族的大局観に立って観てみれば、

いつまで経っても後進が育たないのでよろしくないですし、

いつまでも枝にくっついて離れない枯れ葉のようで、観察していて大変哀れです。

戦国武士の如く、引き際・潔さを学んで「捨てる実践」をする

必要性があるような気がいたします)

【パターンB】計画・準備・後始末の悪い(PDCAの無い)、行動・思いつき型人間

 (下半身・動物的エネルギーが強い、直感型人間に多そうです。

パチンコで例えますと、普通の人は玉を100個持っているとすれば、

このパターンの人は1000個持っているような感じです。

いっぱい玉があるという余裕があるので、一回一回手を止めて、

慎重に打っていくということはしなくて「打てばどれかが当たるやろう!」と

バンバン☆打ちまくっておられます。

このタイプに総じて言えることは、緻密なこと・細かいことが苦手なので、

酷い場合は、どの玉も当たりに入らず、水をザルですくっているという感じです。

このタイプの人が、学習能力がない…つまり知能指数というたぐいの能力が乏しい場合、

哀れですが、そんな悪循環から抜け出せない・長く続く傾向にあります。

①生命エネルギーが強く、②直感力(気づいたらすぐ行動する能力)も冴え、

そして③学習能力(失敗を次やって来る成功の糧に出来る能力)も高ければ、

人よりも失敗は多いですが行動の正確性も高くなって、

失敗の数と比例して、成功も多くなって来ます。

【パターンC】自らの生命エネルギーを性欲や食欲等の自己快楽(悪い方向)に

注ぎ込むことを生き甲斐にし、開き直っている、邪気発散型人間

(これが最もタチが悪いし、罪深い。「人」ではなく「ヒト」。動物です。

見た目は人間と変わりませんが、中身(魂)はキツネ・タヌキ・イヌ・ネコ・・・

そして爬虫類までおります。もっとも下位の人間です。

「人」ではないので、人を騙す、自己快楽に溺れる、人を粗末にする、殺す・・・

ということが比較的抵抗がないです。見た目が同じ人間だと思い、

同じ魂を持つ人間だとカンチガイすれば、まんまと騙されます。

人を見た目で判断するのではなく、魂を見抜く直感力・直観力を磨くべく、

頭で考えるのではなく、心で観て相手を判断するという修行が必要なんだと思います)

【パターンD】自らを必要以上に悲観し、自滅へ導いている、病気抱込み型人間

(上半身・頭脳エネルギー優位の、頭の回転が早い、

あれこれ考え込む人に多いようです。

パターンBの対極にあるタイプのような感じです。

このようなタイプの方は、あれこれ理屈で考えずにまず行動。

敢えて何も考えずに、ひたすら歩いてみる、何かに没頭してみる・・・

考えることをちょっと横に置いておいて、行動する、心で感じたまま動く

ということを意識的に実践されれば、自己を解放でき、

より自然な、幸せな人生が歩めそうな感じです。

自分で「私はこうあらなければならない」とか、思っておられるようですが、

そんな枠は本来無いものであり、自分で作った無限の可能性を阻むものであります。

人は本来、自由な心身を持って生まれていますし、

求めれば、そう成っていく存在であります)

なすがまま、ありのままの人生を是非体得し、

自分自身を許し、ありのままを認め、今この時を生きているという幸せを、

カラダいっぱいに感じで欲しいと願っています。)

【パターンE】全てのことに無気力で、どうでもいい、無気力型人間

(家系や生後の環境により、男性性を育まれてなかった人・

物質的に豊かな時代に生まれ育った若者に多そうです。

人間は「今は持っていないけど、必ず手にしたい」というもの・・・

そのものとは、「物」であったり、「者(人)」であったり、環境・境遇だったりします。

つまり「希望」というものが、生きるためのエンジンであり、

生命エネルギーの源であります。

何らかの望むものがなければ、人間はあらゆる目的・生きる目的自体を見失い、

さまよって、後は惰性と後悔の人生になってしまいます。

そんな人間の魂から、あふれんばかりの生命エネルギーが

湧いてくるはずがありませんし、

わざわざしんどい想いして修行したいとも思わないでしょう。

ですので、必要なもの・欲しいものを何でも親とか周りから

与えられ続けて来た人は、

長年のそんな習慣がしみつき、「ハングリー精神」という名の

男性性が育まれておらず、

自分から何かを掴む・勝ち取るということをしなくなります。

ほんと、豊かさの中の貧困・・・病魔であります。

一方、毎日毎日することがない・・・

誰からも必要とされてない、所謂先の見えているお年寄りの一部にも

無気力な方が多いようです。

やはり、これらに共通することは何らかの理由で

「希望が持てない」「希望を諦めることに慣れてしまった」ということのようです。

そのような方々は「私の人生でこれでいいさ」と言ってても、

根本的には満たされていないので、

不遇の最期・・・人生のエンディングが待っているようです。

・・・大きく分けて、以上5つのパターンのイケテナイ要素が

あるような気がしております。。。

(あくまで個人的な見解であり、真実は知りません・笑)

・・・にしましても、どうして私が「行ガール」になったか・・・?

きっと、もう少ししたら・・・

もしくはこの世を去る時に、その答えが分かるように

なっているんだと思います。

私は、行者としての、私の人生が有ることに、

深い、深い・・・報恩感謝の念を感じています。

誰にも理解されなくていい・・・自分さえ理解・納得すれば。。。

(※我儘に誰の意見も聞かないという訳ではありません。

人様の意見や見方、価値観に一喜一憂し振り回されない。

人様のご意見を参考にしながら、

自分自身の人生を自分でちゃんと選択し、

その責任と義務を果たしてゆくという意味です)

先日も、ある若き独身男性に、

宇宙人のように理解不能と不思議がられましたが(笑)、

それに対して負い目や恥じらい、劣等感もなく、

正々堂々と行の素晴らしさを雄々しく語る私でございます。

ぶれ続け彷徨う・・・浮草のような魂を持つ人に、

あれこれ言われても、それはそれ、これはこれとして

割り切る・線引きする、気(邪気や病気)を受けない・影響されないという、

「娑婆の世界を賢く生きる術」も、何となくですが身に付けさせて頂きました。

私の人生、今後どうなるかは全くもって未知数ですが、

自らの運命という名前の「可能性」を信じ、

希望を持って精進して逝くと、肚くくってま〜す(%笑う女%)(%晴れ%)