10月25日(土)終日。
奈良県生駒郡平群町にある
「生駒山回峰行」に初参加させて頂きましたぁ〜(^0^)☆
この千光寺さんは・・・
役行者がこの地に千手観音菩薩を安置し修行したのに始まりで、
ここで修業を重ねた後、大峯山寺を建立。
このため千光寺は「元山上」と呼ばれています。
また、役行者が母をこの鳴川の地に残して、大峰山に入った後も、
母は修行を続けたところから、
女人山上(にょにんさんじょう)とも呼ばれています。
役行者の母もここで修行したと言われ、
女性が女人禁制の大峯山では出来ぬ修行をこの地で出来ることから、
また「女人山上(にょにんさんじょう)」と称されています。
“お大師さん”こと、弘法大師空海が開祖の「真言宗」に、
私が最も愛する山であります
奈良・大峰山開祖の役行者にご縁深い場所とあって、
まさに、よしこちゃんピッタリのお寺〜っ(*^0^*)☆
いつも畑をしている場所から少し上がった『十三峠』を越えて
ちょっと行ったところの近い場所にあるお寺ですし、
今後、入りびだってしまいそうな勢いです〜っ(!?笑)
前日夜中にお寺に着き、少し仮眠した後、朝6時。
30人くらいの老若男女のパーティーでえっちらおっちらと山道へ。
本格的な山伏の格好&法螺貝をバンバン☆奏でる方々から、
いかにも「山登り」って感じの、ラフな格好をしている方々・・・
そして何故か、四国遍路スタイルで歩いている、
とーっても場違いな?格好のよしこちゃんまで(笑)、
バラエティーに飛んだパーティーでした。
私はこの手の行で今まで、自分以外の誰かと
二人以上で歩いたことがないので、
団体で歩くということがニガテですので
「どうせ、道もワカランし、先頭よりも前に歩かれへんから〜」って、
列の最後をのんび〜り歩いていました。
私にとって「行」とは、
自分対自分との過酷極まる戦い(修行)であり、
自分自身の最も深い部分を見つめ、深堀する時間であり、
自分自身の恥部(罪)も含め、心の底をえぐりだす作業であります。
従いまして、他人と一緒に行をするなんて、私は考えられないのです。
他人がいると、気が散り、その作業に支障が出るので、邪魔なんです。
今後もこの考え(価値観)は変えるつもりはありませんので、
行は一人でさせて頂きます。
ただし、誰かの行をお手伝いするため・・・
誰かの修行の案内役のための「行」は今後、
する機会が出来て来るかと思いますので、
その時は必ず誰かと一緒に行場を歩きます。
今回、この生駒山回峰行に参加した理由は、
次回以降、一人でこの道を歩けるように
道順を覚えながら歩いていたということと、
このブログなどで、この行の存在や素晴らしさを
知って頂きたいと考えたからです。
・・・最後尾には、山伏の格好をしたおじさまがおられ、
どこかのサラリーマンのオッチャンかと思いながら、
めっちゃ馴れ馴れしく
「行(ぎょう)って、めっちゃええですよね〜!
実は私、四国専門の行者で、今度先達になるんっスよ〜っ(^0^)♪」って
普段、なかなか日常生活で出会う方々とは会話が続かない、
萌え〜っでディープ&マニアックな修行ネタでワイワイ盛り上がってましたら、
ある瞬間、誰かがそのオッチャンに対して
「住職さん」と呼ばれ、一気に顔面蒼白。。。(>0<)!
「え・・・!?この方、フツーのオッチャンかと思ってたけど、
千光寺の住職さんやったんやっ!!!」と
自分のチョ〜馴れ馴れしい言動を恥じに恥た次第ですが(爆)、
ご住職は、それだけ私たち凡人に
とっても親しみがある方で、優しいオーラに満ちた方で、
何でも気さくにお話しして下さるところが、
偉そうに上から目線のお坊さんとは一線を画するところで、
私はとってもステキな方だと感じ、
私もこれから先、どれだけ行を積んでも、
そのご住職さんのような、物腰柔らかい人間であり続けたいと思いました。
今回の「生駒山回峰行」のルートですが、
千光寺→八代龍王(神感寺)→慈光寺→鶴林寺→
宝山寺→教弘寺→千光寺です(全長13キロ)。
お寺には15時過ぎに帰って来ました。
ゆっくり歩き、途中休憩・昼食を挟んで9時間くらいでした。
さすが見た目もゆるやかな山なみの風景の生駒山系は、
四国遍路のようなアップダウンが強烈な岩山がほぼ無く、
私はゆるやかな道だと感じ、13キロでもしんどくはないと感じました。
さすが女人大峰山。女子にはオススメです!
(が、男性には物足りないかと)
お寺ごとに、般若心経などを唱え、
有人のお寺では「お接待」的な感じで、お茶やお菓子を頂き、
本当に行き届いた行でした(^^)♪
この千光寺ではもう12〜3年、毎年5月と10月、この回峰行を
企画されているそうで、9回参加すれば、
この生駒山行の「大先達」になれるそうです。
ほんと、四国遍路なんて、1300キロを4回回ってやっと「先達」やのに、
めっちゃラク???な回峰行ですよね。
で、私は思った次第です。
この全長13キロ。アップダウン(高低差)300メートル程度の
生駒山回峰行なんてラクなもんや〜・・・って思えるのは何故か?
それは、全長1260キロ(高低差900メートル)の
四国歩き遍路行をやり切ったからなんですよね。
日々何もやっていない方や基礎体力に乏しい方は、
この生駒山回峰行がとってもしんどいものかと思われます。
私は
「『経験』は、人生の『財産』やねんや」
と、確信を得た次第です。
先にしんどいこと・過酷なことをしていると、
その後に起こる、それ以下のことが
「しんどいこと・過酷なこと」では無くなるんですよね。
だから、人生を昨日より今日、今日より明日、良くしようと思えば、
先にそれらの苦難を体験しておくことが必要だということです。
ラクばかりがいい・苦難は嫌だと思って、忌み嫌っていると、
昨日より今日、今日より明日、人生がしんどくなって来ます。
私の場合、2周目以降の四国遍路行並びに
小豆島遍路行は「苦難の先取り」でした。
自発的に行う遍路修行を通して、
先に過酷な境遇に自身の身を置いて、
過酷な苦難を体験することにより、
そこで自己反省をし懺悔し、そして自己革新を起こし、
過去・先祖の苦難(=罪)を消罪・浄化・昇華させると同時に、
未来の自分・子孫に降って来るであろう、苦難を
今日の行によって祓う・除去してゆくものであります。
失敗を極度に恐れる、意外と保守的な私は、
こんな感じで、「行」という非日常空間に身を置き
そこであれこれ失敗することによって、
日常生活の失敗を事前に回避するという
人生の選択を行い続けています。
ということで、
日本古来のこの「行」というもののおかげで
私は日常生活で、どれだけの失敗を回避し、
失敗やそこから来る苦難やストレスを回避し、
スムーズに生きていられるか・・・
本当に「行」というものに感謝しております。
「行」とは、この日本で最も古くて、
そして最も最先端をゆく、自己革新の方法の一つであります。
もしもこの「行」というものが偽物であったり、
ちゃんとやっても効果がなかったり、
その時代時代の人にしか善いと判断されなければ、
1300年以上の歴史の中で、行というものは
とっくの昔に消えて無くなっています。
行というものは、時代やその時々の人間の価値観や生き様を超越し、
人間や時代の根幹や本質をついたものであるからこそ、
1300年以上も人々の手(念)によって継承され続けているのです。
・・・そんなかんだで、身近な場所に
こんな「行」の出来る場所があることを知り、
本当に嬉しい限りです。
ほんと、ご縁に感謝、感謝です(ー人ー)☆