「表観と裏観」

主観と客観は、部分観と全体観という

物事の見方・捉え方は、前からなんとな〜くですが

知っておりました。

主観:自分から観た物事の認知・判断の方法

客観:自分以外の多くの他者から観た物事の認知・判断の方法

部分観:物事の一部だけを観て認知・判断をする方法

全体観:物事の全体を観て認知・判断をする方法

このような感じでしょうか。。。?

先日、「表観」と「裏観」というお言葉を教えて頂き、

深く感動いたしました☆

表観(ひょうかん)とは、

「人間や物事を表から観て認知・判断をする方法」ということで、

見た目・外観に重きを置く概念で、裏観(りかん)とは、

「人間や物事を裏から観て認知・判断をする方法」

本体・本質見えないもの・心に重きを置く概念なんだそうです。

表観とは、目に見える形で起こっている現象や状態を観て判断し、

裏観とは、目には見えない・物事の本体や本質を観て判断する方法です。

例えば、

今の日本は、政治も堕落、おかしな犯罪も多いし、天災も多い。

そんな現象を並べてみて「日本はヤバイ。もうダメかも?!」

と思うのが表観であります。

しかし一方で、日本の歴史や日本の偉人・・・

はたまた、我々凡人の目に触れないところで

震災復興に日々がんばっておられる方々や

自分を磨き高めると同時に周りや国家・世界平和に貢献しようと

率先垂範して様々な分野で荒行に挑んでおられる行者の心にふれますと、

「まだまだ日本も捨てたもんじゃない。日本は安泰や!」と

観ることが出来ます。

主観と客観、部分観と全体観に加え、

『表観と裏観』という新たな物事の見方の方法を

分かりやすく論理的に教えて頂き、改めて物事を正しく捉え、

実行実践し続けることの大切さが肚にすっと落ちた次第です。

「肚に落ちる」で思い出しましたが、

世の中には「つもり病」というものにかかっている人が多いと

ある思想家の方から教えて頂き、なるほどな〜☆って思いました。

「つもり病」とは、

「分かったつもり」「納得したつもり」

「悟ったつもり」という思考形態で、

客観的に観て実際は分かってないのに、

自分だけ(主観的に)「自分は分かっている」と思い込んでいるという

我儘の一種であり、ある種の“病”であります。

(私もこの病の患者の一人ですヮ・・・ーー;凹)

日々、自他を観察しておりますと、「つもり病」にかかっている人は、

「自分は分かっている・出来ている」と吹聴して周って

周囲に賞賛を求める傾向にあり、

真に分かっているつまり「真理を肚に掴んでいる人」は

周りにそのことを発心せず、ただただニコニコと

朗らかに安らかに日々過ごしておられます。

真に賞賛に値する人は、

自ら発心しなくても、分かる人には分かり、

自然と賞賛され、人生も幸福になってゆくようで、

逆に賞賛を求め続ける人は、

まわりから烟たがられ、密かに卑下され、最悪否定までされるようで、

ますます発心度を上げてゆくという悪循環に陥る傾向にあるようです。

・・・大学などの学校や各種セミナー、人様から日々

いろいろなことを教えていただきます。

まず、知識という形で頭に入ってきます。

実はその時点では「分かった」にではなく、

「分かったつもり」の段階であり、

真の理解への入口のようです。

本当に分かる・・・つまり肚(心や魂)に落とし込み、

真の理解へとゴールインする為には、

実行実践してみる・・・つまり「行」をする

ということが必要不可欠のようです。

例えば、お四国の先達さんから

「四国遍路とはこういうもんやで〜」と

お遍路さんをする前に教えて頂いたとすれば、

それが、その人の知識として頭に入る訳であります。

一周も周ってないクセに、「四国遍路とはこういうもんやで〜」って

あっちこっちに言うことなんて出来ません。

実際、自分がお参りさせて頂いて、

一周、二周、三周・・・とお参りさせて頂くことによって

だんだんと頭だけの知識が肚に落ち、自分の経験値になり、

真に自分のものになり、そして人生の糧や人を救う手立てに

なってゆくのだと思います。

今個人的ブームとして(?)、

金峯山寺管領であられた故・五條順教師の本を読んでいます。

真理を掴まれた・貫き通された人は、

五條順教師の遺された文章のように・・・

またその一つの生き様ように

余計なものが全て削ぎ落とされ、究極に簡素化され

そして光輝き・・・そして

何も抗うものもなく『自然体』になられはったんやな。。。

と深く深く感動、感涙し、何度もムサボリ読んでます(笑)。

五條順教師とは残念ながら

生前お会いする機会は一度もありませんでしたが、

『永遠の心の師匠』として、勝手にそして密かにお慕い続けたいと思います。

ここまでのレベルまで、もしも今回の人生で行けたのであれば、

私の人生も意味や意義があったなぁ・・・って思います。

ほんと、まだまだ・・・まだまだですヮ。。。(遠い目☆)