「遠くを見通す」

マイ畑に行きますと、曇りながらも、

とっても見晴らしが良くカメラ構えますと

いろんないい写真が撮れました(^0^)♪

今、畑の上にあります玉祖神社は「水仙」が見頃で、

ほんのり水仙の香りが香って、

里山風景がますますいい感じになっています。

マイ畑は、おかげさまでどれも枯れることなく

ゆっくりとですが、ニンニクとタマネギ・・・

そしてイチゴが育っています。

冬なので、茎や葉はあまり育っていませんが、

きっと目には見えない根っこの部分で、

ちょっとずつ育っているんだと思います。

ほんと、植物のたくましさ

素晴らしさをこの八尾の里山風景の中、

感じさせていただいており、

そんな恵みを日々頂いているという

感謝の心を実感させて頂いております(ー人ー)☆

その日は一山越えて、奈良に用事がありましたので、

マイ畑から更に上を目指し、途中

十三峠の下にあります『水呑地蔵さん』へ

お参りに行きました。

ここは更に見晴らしがよく、

その日は遠く、六甲山系、そして明石海峡大橋が見えました。

日々過ごしている大阪平野を

こうやって山の上から眺めていますと、

日々の言動の小ささ、そして儚さを感じます。

まさに「諸行無常」の気分です。

私たち人間は日々何のために、

何を目指し、何を求め、

この狭い大阪平野でせっせと忙しなく

「取った」「取られた」と生きているのでしょうか?

そんな目に見える増減(対立)の中には

真理や真実(根本)は存在しないと思うんです。

あくまで「現象(真理や真実の一部・断片)」であろうかと思います。

また、幸福という感情の“一部”であり、

幸福の“根本・全て”ではないと思うんです。

その見える現象ばかりに心が囚われ、

心(人生全体)が彷徨い、常に不足不満や不安な心から解脱出来ない・・・

結局自分自身の手によって、自身を不幸に陥れている人が

とても多いような気がし、密かに憂え、心、痛めています。

私はわるい意味でも、いい意味でも

冷めた、そして醒めた目で全ての現象を静かに観察し続けるように

曲がりなりにも、自らを律しております。

(それが『行』というものなのでしょうか)

これは人類にとっての「永遠の課題」であり、

答えは永遠に見つからないかも知れませんが、

その答えを日々曲りなりに探し求め、

生きていくこと自体にその答えが在って、

またその過程の中に『幸福』というものが在るんやと

何となくですが、ぼんやりと観えて来ました。

これからも、真理・真実を求め続け、

生きて、そして逝きたいと

静かに念(想い)を強くした時間となりました。