百田尚樹さんのご講演♪

商工会議所青年部の全国大会で、

放送作家・小説家の百田尚樹さんの

ご講演を聴かせて頂きました。

ここ最近、百田氏が書かれた

故やしきたかじん氏の闘病生活を書いた

著書本『殉愛』に関連して、

いろんな人達ともめておられるようですが、

私が今回、講演会形式ですが

百田氏とお会いさせて頂きまして、

「この方は、ちゃんと筋が一本通った、強いお方やな」

と私は感じました。

今回の講演の内容は、

「何故自分は、50歳にして小説家を目指し、

で、どのような題材を小説にしてゆきたいのか?」というもので

あっという間の、1時間10分程のご講演でした。

個人的にはもう1時間くらい聴きたかったです。

百田氏は、もともと映像作家で

現在も関西の人気バラエティ番組

「探偵!ナイトスクープ」のチーフ構成作家などを

続けておられるそうです。

その「探偵!ナイトスクープ」の中で、

ある依頼人から

「90歳を超える物凄い手品師がいるので見に来て欲しい」とあり、

桂小枝が見に行きますと、とにかくもの凄い異常で最高にオモロイ

自称手品師のおじいさんで

(オモロすぎて、これで話が終わってしまいますので割愛します・笑)、

そのおじいさん・・・80代後半に

「手品師になる!」と一念発起されたそうです。

前々から新しいことをしてみたい・小説を書いてみたい

という想いがあられたそうなのですが、

「もう50歳と、新しいことに挑戦することを

半ば諦めていたけど、このおじいさんは80歳を越えて

新しいことにチャレンジされたんや。

より、オレもやってみよう!」と一念発起されたそうです。

で、『永遠の0(ゼロ)』という名作が生まれた訳ですが、

何故それを書こうと思われたのか?

それは百田氏のお父さまやおじさまなど、

大正期後半に生まれた方々の

影響があったからとのことです。

百田氏のお父さまの時代は

大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦地に

行くのが当たり前の世代だったとのことです。

大正8〜15年の大正後半生まれの人たちは、

物心ついた時から日中戦争などの時代で、

そして20歳前後の最もいい青春時代を

戦地で過ごした世代であります。

で、この世代の男性は4人に1人以上、

戦死しているんだそうです。

ちなみに私の母方の祖父は明治42年生まれで、

戦争には行っていませんが、

鉄工所の職人で、工場の代表として、中国の軍需工場に派遣され、

終戦の約一ヶ月前、結核にかかって中国で死んでしまいました。

もちろん、亡骸は帰って来ず、死亡通知のような紙切れ1枚が

祖母の元に届いただけでした。

百田氏は幼少期より、

戦場から生き残って還って来た

父親や叔父から・・・はたまた

旦那の留守を守っていた母親など

一つ二つ上の戦争体験世代の方から、

多くの戦争体験を教えてもらっていたそうですし、

戦後昭和30年代はまだ、大阪の下町のあっちこっちに

戦争の爪痕が残っていて、

そのお話しがリアルに心に残っていったそうです。

百田氏のお父さまは、

息子娘には戦争体験をみっちり話しても、

孫には話をされなかったそうです。

そのことが、百田氏のお父さまの

末期がんでの余命宣告の時くらいに

「これは良くないことなのではないか?」

と思われたそうで、それで・・・

「僕の父親世代と、僕の子ども世代を繋ぐ・ジョイントする使命役割が

僕にはあるのではないのか?」と思われたそうで、

それで、現代の若い姉弟が、特攻隊で死んだという

自分の本当の祖父のことを調べていって、

祖父の生き様(真実)を知ってゆくという

『永遠の0(ゼロ)』が誕生したということでした。

私も『永遠の0(ゼロ)』は読ませて頂きましたが、

私達20〜30代の世代の視点で

二世代上の人たちの生き様や価値観が理解出来、

とっても分かりやすく、また感情移入もしやすかったです。

私の母方の祖父も、このような想いで日々、

中国の軍需工場で働き、

そして死んで逝ったのかなぁ・・・と思いました。

その祖父の果て無き無念さ、そして祈り(念)は、

今でも時空を越えて私達子孫、そして国家を陰で支え、

見守って下さっているのだと感じています。

・・・東日本大震災が起こり、

小説を書く手がぱたっと止まってしまったそうです。

何を書いても納得行かない、何も書けない・・・

そんな仲、同僚の映像作家の方から、

「日章丸(にしょうまる)事件」を教えて貰ったそうです。

それがきっかけで、『海賊と呼ばれた男』という小説が

誕生したそうです。

その事件は、1953年(昭和28年)に起こりました。

まず、その事件の背景ですが、

当時世界で最も石油の産出がを多かったイランは、

過去50年間、その石油全てをイギリス国営会社が牛耳っていました。

つまり長年イランはイギリスの植民地で、

今ではあり得ませんが、「アンタの物はオレの物」とばかりに、

イランの石油を50年間も占拠し、

殆ど全ての利益をイギリスに流していたようです。

ほんと、数百年に及ぶこの植民地化政策って、

今でも欧米に根深い「罪」として脈々と続いており、

その後遺症に苦しみ続いているようですね。

その罪を償うための時代が、

もしかしたら「これから」なのかも知れませんし、

「今」なのかも知れません。。。

罪というものは、いくらそれぞれの時代の流れであったとしても、

罪は罪であり、時間と共に薄れる・なくなるものではなく、

罪は、無理矢理でも償わなければならないように

出来ているようです。

現代のイスラム対キリストの宗教対立による武力闘争も、

その深い罪の一部の枝葉として表面化している

問題のような感じもいたします。。。

その欧米(白人)からの植民地化の開放政策として、

日本が立ち上がって、あの大東亜戦争をすることになった

ということも一つの理由にあったようですね。

「戦争は勝者が作る」という言葉がありますが、

まさに、大東亜戦争で負けた日本は、

全て日本が悪いという価値観をGHQ初め、

欧米諸国(戦勝国)に植え付けられ、

ある意味今でも家畜の如く、表立ってまた裏で、

利益をチューチューと、吸い上げられているようです。

(ま、実際の日本人への洗脳(家畜化)政策は、もっと以前の

幕末のペリー来航時代から、静かに仕掛けはじめられていたようですね)

大東亜戦争を体験された最後の世代がこの世から消える前に、

「このまま洗脳・騙され続けてはいけない!」という

真実に覚醒めた日本人が出始め、

それがだんだんと市民権(権力)を握り初めて来たのは

日本国家再建・救済にとっては、「最期の望み」であります。

(その望みの一つの枝葉の出来事として、「従軍慰安婦問題」が挙げられます。

だんだんと勝者による歪曲した事実の「化けの皮」が剥がれ、

どんどんとありのままの真実が出てきますよ。

つまり、過去・歴史の虚実と一緒に偽りの

人間も暴かれることになります。

これからの精神革命が起こる日本では、

こんな感じで、偽物の人間は生きてゆけません。)

さて話を戻しまして、

そんな過酷なイギリスの支配下の中で、

ある有能なイランのリーダーが現れ、

すったもんだありつつも、イギリスを追い出したそうです。

ところが、イギリスは当時まだ力もあり

「イラン、許せん!」と

海上封鎖を行い、どこの国もイランから

石油を買えなくしてしまいました。

ほんと、欧米諸国って、

今は偉そうに正義とか聖戦とか言ってますが、

こんな感じで少し前までは、とんでもない輩だったようで、

ほんと過去、どれだけ多くの人間の命を奪い、富や財産を奪い、

ノーノーと生きて来たんでしょうね。

そんな意味でも、我々日本人は、

罪なきクリーンな民族であり、

世界で最も徳のある民族なんだということが

だんだんと観えて参ります。

我々日本人、とにかく自尊心を取り戻さなければなりません。

不信でも過信でもない、自信が必要であります。

我欲に囚われている時間はないはずなのですが、、、

あ、また話戻しますが(笑)、

海上封鎖された中で、イタリアの石油会社が

イランに石油を買いに来るのですが、

イギリスがその船を拿捕&没収し、

「次、イランに買いに来た奴らは、容赦なく撃沈させる」と言い放ち、

世界各国は震えに震え、どこも石油を買わなかったそうです。

そんな兵糧攻めに遭った状態がイランで1年半続いた時、

日本の出光興産の『日章丸』が、あらゆる手段を使いまくって、

イランから石油を購入し、そしてイギリスの追っ手も振り切って

無事日本に帰って来たとのことです。

詳しいことはこちらをクリックし、ご覧になられて下さい↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AB%A0%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この『日章丸』を差し向けた張本人が

小説『海賊と呼ばれた男』の主人公であり、

出光興産創業者の出光 佐三(いでみつ さぞう)氏

(1885年〜1981年、95歳没)です↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%85%89%E4%BD%90%E4%B8%89

この出光 佐三氏は戦い続けた男であります。

この『日章丸』に関しては、

イギリスなど世界を相手に戦った訳ですが、

そもそも、出光 佐三氏は戦争直後の焼け野原の中、

会社や社会がめちゃくちゃになった中でも

社員たちに、

「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」

「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、

大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、

日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と

訓示を述べられたそうです。

戦前戦中戦後・・・あらゆる人、国家、過酷な状況と

戦い続けた男であります。

百田氏がおっしゃられておりましたが、

「永遠の0」で、戦争に行って戦った人たちも、

そして戦後の日本を復興させた人たちも、

同じ(世代の)日本人、なんですよね。

大正8〜15年の人たちを中心とする、世代の方々なんです。

理不尽過ぎる戦争で、身内仲間がどんどん死んでゆき、

自分も死にかけて、そんな苦労をしながら、

ゆっくり休むこともなく、

更に、焼け野原の中、日本を復興させてゆく・・・

一体、どれだけ必死に戦い仕事されたのでしょうか?

今の我々日本人からでは想像出来ません。

死んだ人も地獄、生き残った人も地獄の中で、

何故希望を失わず、復興が出来たのか?

私は一瞬不思議に思いましたが、

そこでハッと、

そんな底力・再建力が我々日本人には

元々あるのだということに気付いた次第です。

しかも、前の時代と同じように「再生」させるのではなく、

「創生」であります。

過去あったものを「再生」しながら、

同時に、今まで無かったものを新しく「創造」してゆくのです。

何故、我々日本人はそれが可能なのか?

それは、出光氏がおっしゃいますように、

日本には三千年以上の歴史がある・・・

つまり日本民族には、それだけ多くの人間の叡智の積み重ね

つまり精神・文化という類のものがあるからなんだと思います。

私は、罪なき日本人、そして徳ある日本人として

これからも先人たちに恥ない生き方を

貫き通して参りたい・・・そう改めて決意した時間となりました。

・・・ほんと、自分の周り物、食べ物、他人様、神仏、

そして自分の命まで、粗末にする人が多すぎます。

いつも強く思うのですが、この青年部の全国大会等での

大懇親会の、あの残飯の異常な多さ・・・

テーブルの汚さは一体何なんでしょうか?

いい年齢をした、もう自分の子どももいる男性たちの一部が

異常なバカ騒ぎして、食べ散らかし、

食べ切る気もないくせに、どこからともなく、ごっそり持って来て残しまくり、

そしてぐじゃぐじゃにしたまま帰ってゆく・・・

そんなアホな青年経済人(オトコ)の品格のなさに

ある種の失望&絶望感を感じています。

そんな親に育てられる子どもは、

こんなアホな父親の罪を背負わされて可哀想です。

ここで、敢えてはっきりと、正々堂々と申し上げさせて頂きます。

ほんと、普段口で偉そうに言っていることと、

実際やっていることが違い過ぎます。

はっきり申しまして、見窄らしい上に哀れです。

分かる人間にはそれが分かるのです。

それが口だけか、言動一致しているかは。

百田氏の素晴らしいご講演の後に、

本当にもー、ガックリです。

(毎年、こんな有様ですが・・・ま、全員ではなく、一部の輩です。

その一部がやたら声も態度もバカデカイので、かなり目立ちます)

私は哀れな残飯たちを見て、情というものが移り、

いつも一切手をつけられていないもので且つ

保存がきくものをコッソリ持って帰っています。

ほんと、もったいなさ過ぎます。。。

これは主催者側が何とかすべき問題の一つなのではないでしょうか。

(しかも今回はご家族で来られている人も多く、

会員各位の奥様やお子さんが、こんな有様を見れば、

青年部メンバーや活動に対して、一体どう思うのでしょうか?正直疑問です)

お酒が入っていて、生活の場所以外なんやから

何をしてもいいのでしょうか?

いつでもどこでも誰とでも『礼節』が必要です。

世の中には物が食べれなくて困っている・

死んでいる人の方が多いのに、

この飽食の日本で生きているという、感謝のかけらもないですね。

そんなところでも、可哀想に、罪を作り過ぎています。

率先して散らかしている動物的な輩が経営する会社は

生き残ってはいかないでしょう。

バカ騒ぎはつまり、最期の「あがき」となります。

今あれこれ申しておりますことは、

私個人がどう思っているかの、主観的且つ低次元の感情の問題ではなく、

(いつも私が書く文章は、出来る限り

自身の主観的な感情論は排除するように心がけております)

青年部以外の人たち(第三者)もしくは

カミサマホトケサマ的大局観に立って、

この残飯が多過ぎるという事実を冷静に観察をすれば、

これは決して許されることではないということを言っております。

先程も書かせて頂きましたが、罪はいつかどこかで、

それを作った本人(もしくはその子孫・関係者)が

必ず償うことになります。 (合掌)