ここ最近、あれこれ会合に出て、
ちょこちょこと、「?」と思う場に出くわすことがあります。
マイクを持っている人が、
「こんなことまで知っている・調べたんやゾ」って
どや〜って感じで自己満足的にお話しされたり、
(オイオイ、そんなことが、
その会の本分・あるべき姿とどう関係あるねんって感じ ^^;)
明らかに自分が悪いのに、あたかも自分が悪くないように
はたまた仮想敵のようなものを勝手に創造し、
ソイツが悪い〜みたいなことを、死にかけのハエの如く、
覇気なく反論していたり・・・
いやはや、そんな『モト(芯)』から外れた
彷徨う哀れな大人たちを見た子どもたちは、
「大人にはなりたくないなぁ〜」って思うのん、正直
とても理解出来ますし、ある種それが健全で思考形態であります(笑)。
性の快楽、その場の感情、そして目先に見える勝手な妄想に囚われ、
(ある種の魔法であり、洗脳?)
ポコポコと子女を儲け・・・
儲けたのはいいが、儲けただけで、
親としての「あるべき姿」を、子どもに見せれることもなく・・・
子どもは親の言うこと(綺麗事)ではなく、
親のやっていること(後ろ姿、実像)を真似て育つものですから、
親が自己中心的で自己快楽追求主義者であれば、
ポコポコと、同じレベルの人間が再生産されて行くようです。
親も経営者も、
運転免許証のような免許制度でなる・なれないと
決められているものではありませんので、
素質・素養がないのに、また知識・経験がないのに、
なろうと思えば、いつでもどこでも誰でもなれるので、
まるで、免許証を持っていない人間が
今日初めてハンドルを握って、
イキナリ阪神高速をぶっ飛ばすような
恐怖極まりない人が結構おられたりいたします。
(出来る限り、関わらない方が賢明であります^^;)
ということで、会合でそんな大人たちの話を
マトモに聞いていても仕方がないので、
(本来、会合とは、みんなの知恵を出しあい善いものを生み出す為のものであり、
その主旨から逸脱した会合は、はっきり申しまして時間の無駄&罪であります)
自分も含め、身の回りの方々の『生き方の法則』を
ペンと紙で持って、悶々と考えておりました(笑)。
以前にも、少し書かせて頂いたかと思いますが、
私たち人間の人生って、
「螺旋状に成長(進化・深化)してゆく」
もののような気がしております。
詳しくは右図を見て頂ければと思いますが、
(※クリックしますと拡大されます)
真ん中に一本、芯(シン)があり、
それを中心に、ぐるぐると螺旋状に、
ゆっくり上がってゆくような気がしています。
人生は陰陽(快・不快等、相反する要素)を
行ったり来たり・・・繰り返しているということです。
つまり、人生において、ずっと幸せということもなく、
またずっと不幸ということもないということになります。
ただ、この『螺旋の道』には、春夏秋冬のような
大きく分けて4つの季節(時期)というものがあって・・・
春は、ようやく善い方向に向きだした状態
夏は、善い方向に一気に上昇気流に乗っている状態
秋は、善いことの収穫期プラス、悪い方で下降し始める状態
そして冬は、一気に下降気流で落ち、低迷が続く状態
であろうかと思われます。
人は必ず、この4つの時期を通過しているはずなのですが、
人によって、長時間冬の時期にいる人や、
冬の時代が比較的短い人まで、いろいろおられます。
一体この差は何か?
かなりの時間考えていました。
おそらく・・・
【冬の時期をより善く、そして早く切り抜ける方法】
①心構えが前向き、プラス思考。
悲観的でななく、楽観的。
②つねに自力本願で、厳しい時期を
乗り越えようと努力している。諦めない。
③「春の兆し」を感じる能力(感性)が豊か。
④その兆しというチャンスを逃さず、
そこで一気呵成に春の時期を自分で起こすことが出来る。
⑤時には、人様の力を借りて、春の時期を訪れさせ、
それに対する報恩感謝を忘れない。
⑥人様の冬の時期に対して応援をし、
春の時期を起こすサポートをしている。
⑦冬の時期をじっと堪える忍耐がある。覚悟が出来ている。
⑧ピンチはチャンス。冬の時期が自分を最も磨き高める。
時期であるということを知っているので、
真正面からどーん☆と受け切っている。
⑨自分が冬の時期にいるという認識がない。
それが当たり前だと思っているか、あまりにも鈍感。
なので、そこから抜け出したい・抜けださなければならないという発想がない。
ざっと書きましたが、こんな感じでしょうか?
また、冬の時期が厳しければ厳しい程、
乗り越ることの出来た後の春・夏・秋の時期に、
ものすごい大きな「リターン」があるようです。
以前、大企業の社長さんのお話しを聞いておりましたら、
凡人社長とは比べ物にならない程の苦難(冬の時期)があるそうです。
私達には見えないご苦労が多いようですね。
(「隣の芝生は青い」と、いいところしか見えませんがね・笑)
以上の「螺旋の道」も重要なのですが、
それを支える「芯」も同じくらい重要のようです。
「螺旋の道」が人生の道、そのもの・・・
つまり人生の「やり方」であれば、
芯の部分は人生の「あり方」であります。
「自分は今、何のために生きているのか?」
「この人生で自分は一体何を成すべきなのか?」
「だから自分は常にどうあるべきなのか?」
そのような部分をどっしり考え、
それがどんどん確信に近づき、
生きるという覚悟が出来て来ますと、
どんどんとその芯が太くなって来まして、
少々の横風(苦難・冬の時期)が吹いても
人生全体が倒れたり、ぶれないようであります。
「易不易」という言葉がありますが、
易は「やり方」・螺旋状の人生の道であり、
TPOに応じて、自在に変えなければなりませんし、
変えたくなくても、変わっていきます。
不易は「あり方」・芯の部分で、
これは人生がどうなろうと、絶対に変わらない
変えてはならないところであります。
この易不易のさじ加減を間違い、
人生が、そして魂が路頭に迷っている人は多いです。
陰陽を彷徨う螺旋状の人生遍路を爆走しまくるのは
生きる上での王道でありますが、
一方で、それと同時に、自らの人生のその道を支える
芯を強く深く、そして高く伸ばす必要があります。
その方法が所謂「精神修行」であり、
四国遍路もそれに入って来るのだと思います。
朝顔のツルは、支えの棒を伝って、
太陽(つまり“カミ”の領域)に近づいて上に伸びて行きます。
人間もそのように、「支えの棒」のようなもの(人間性・倫理&道徳観)を
伝って上に伸びてゆくのだと思います。
ところが、その棒が短いと、
例えつるが伸びても、それ以上上には伸びて行かず、
結局、先っちょは地面に落ちて、朽ちてゆきます。
ましてや、その支えの棒が、風であっけなく倒れたり、
そもそも棒自体が存在していないと、永久に太陽の元には近づかず、
一生地面にへばりついて、動物の如く、魂のレベルが上がらず、
他のレベルの低い人間のツルと太陽の当たる場所の競争が始まり
やがて絡み合い、そして、
あっけなく朽ちて終わってしまいます。
人間の子どもは、親(周りの大人)に
その支えの棒を立てて貰うのだと思います。
それが「正しい教育」というものなのではないでしょうか?
そして人間の大人は、自分自身でツルを伸ばしつつ、
また自分自身で支えの棒を強く立てて、
地下深くに深めて、そして太陽に向けて
伸ばし続けていかなければならないのだと思います。
それが、しんどいとか、楽しいとか・・・
人間のそんな浅はかな感情論関係なしに、それが、
人間の真の人生の本質の
一部を占める要素なのではないでしょうか。