【泰然自若】(たいぜんじじゃく)について雑感

大阪に帰って来ました。

嗚呼、、、もう少しいたかったなぁ〜(笑)。

またこの大阪でガンバリマス。

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「泰然自若」(たいぜんじじゃく)

落ち着いていてどんなことにも動じないさま。

泰然:落ち着いていてどんなことにも動じないさま。

自若:何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いているさま。

人生なかなか、「泰然自若」になるのは難しいデスネ〜(>0<)☆

だけど、38歳を前に、だんだんと&かなりゆっくりですが、

若い頃よりかは「泰然自若」に近づいて来たように感じています。

「泰然自若」に生きる為には、まず

心に『大黒柱のようなもの』が一本、どんっ!と

立っていなければならないと思います。

それが何かといいますと、

自分自身の人生の「あり方」のような気がしています。

「自分が今、何のために生きているのか?」

「何故今これをしているのか?」など、

今行っている「動き・働き」や人生そのものの

ゴール地点といいますか、ビジョン・理念といいますか、

使命感といいますか、そんなたぐいのものが

人の心の中で大黒柱のように、どっしり立っているかどうかです。

と同時に「泰然自若」にとって重要な心は

「とらわれない心」「こだわらない心」「執着心」

とでも申しましょうか。。。?

自分の考え(主観)・思い込みにとらわれない、また

モノカネ(見えるものや現象、「今」という時間だけ)に

執着しない・・・その究極は『己の命』ですらこだわらない。

極論ですが、自分のミッション・使命感を達成する為に

もしも必要があれば、命をも捨ててもいいという意気込み・心意気です。

それが『肚を決める』ということであろうかと思われます。

決して、命を軽く扱ったり、

簡単に死んでもいいということではありません。

また、

「とらわれない心」「こだわらない心」「執着心」を

別の方向から表現しますと

「すなおな心」「しなやかな心」なんだと思います。

強烈な横風が吹いても、それにぐっ!と抗う・闘うことなく、

ゆらゆらと身を揺らしながら、受け入れ、生き延びるという

『竹』のような心構えです。

人様からの苦言や苦難の境遇は『己を磨き高めるための試練』だと

前向きに捉え、それを真正面から受け容れ、

自分自身をより善くしてゆくというあり方なんだと思います。

理想としましては、

常に青々し、寿命が果てしなく長く、

根は広く深く伸ばし、枝葉は広く高く伸ばすクスノキのように、

と同時に竹のようにしなやかに生きるのがいいのかと思います。

上記に『肚をくくる』と記しましたが、

肚をくくった働きや人生そのものは

『捨身修行』というものなんだと思われます。

例えば一人で四国歩き遍路や、大峯山を登りに行く人は

命がけの修行・・・正に『捨身修行』です。

一人で行くとなると、あらゆる危険度が増して来ます。

崖に落ちそうになったり、動物や悪い人間が襲って来たりします。

とにかく次々起こる問題を自分一人で解決しなければなりません。

ですので、肚をくくれない・中途半端な意気込みの人が

「カミサマホトケサマのパワー(おかげさまの力)を頂きたい」と

欲を張りつつも、コワゴワと一人で修行に行くのは

ますます本当に死ぬ可能性が上がりますので、

そのような方は、誰かと一緒に

和気あいあいと行って頂ければと思います。

が、誰かと一緒に行く修行は

捨身修行の度合いは一気に低下すると思われ、

捨身修行ではなくなるかなと思います。

ということで、一人で行きたいと純粋に思われる方は、

一人で行って頂きまして、

一人で行きたくない・行けない・行かなくていいと思われる方は

ご無理されず、どなたかと一緒に行かれてくださいね。

心向かうそのやり方で、行かれて頂ければと思います。

・・・面白いもので、

「死んだら死んだでその時や、私は自己責任で修行する。」と

肚をくくって参りますと、不思議と身の危険を感じることが起こって来ません。

(ちなみに母親には、自分の貯金や保険をどこで契約しているか話しています。

もしも修行中などで突然死んでしまっても、親が困らないようにするためです)

しかも、山(霊峰)での『捨身修行』を通して、

「身(命)も捨ててもいい、自分が成長し、自他共に善くしてゆきたい」と思い

せっせと修行を続けておりますと、

だんだんと「命」という自分にとって

最も重要なものに執着しなくなって来て、

「人間、死ぬ時には死ぬし、死なない時には死なない。

それは自分(人間)の“思惟”を超えたところにある。」

という真実が観え、

娑婆の世界(日常生活の場)においても

些細なこと(モノカネの量や人間関係など)で

一喜一憂しなくなってきます。

この世で最大最強の苦難は「死ぬこと」であります。

『捨身修行』を続けておりますと、

死への恐怖が薄れて来ると言いますか、

すなおに「いつか私も死ぬねんな」と

当たり前のことをだんだんと受け容れれるようになって来て、

と同時に「今、私は生きているねんな。ありがたいなぁ・・・(ー人ー)☆」と

見えない「おかげさまの力」の存在や凄さを感じられ、

『報恩感謝の人生』を歩めるようになって来るようです。

「報恩感謝の人生」を一言で申しますと

「人様・自分・地域社会(地球環境)みんなが善くなる生き方」です。

ぼちぼちとですが、

そのような人生、歩んで参りたいと思います(^0^)☆