空(くう) 〜38歳になりました〜

おかげさまを持ちまして本日・14日、

38歳になりました。

方々よりお祝いのお言葉をいただき、

本当にありがとうございました。

両親をはじめ、

本当に多くの方々の『おかげさま』をいただき、

ここまで生きて来ることが出来ました。

改めて感謝の念を深めるとともに、

今後ますます精進してゆくことを、

改めて決意させていただきました。

今の心境を言葉で表現するのであれば、

『空(くう)』です。

写真の青空のように心は澄み渡り、

無限の可能性を感じます。

(とか何とかいいつつも、雲や霧がかかって来ます。

人間のココロも天気のように、コロコロ変わります・涙)

『空(くう)』とは「なにも無い」・・・つまり『無(む)』ではなく、

全てのもの・ことの生み出だしの本(元・もと)で溢れています。

目では観えませんが、心では何となくですが、観えております。

これから先、自分自身の人生やこの国家・(娑婆の)世界で

どんなことが起こっても、

ぶれずに物事や現象を正しく観、正しく判断し、

正しく努力(実践)し続ければ、

より善き人生を歩むことが出来、

より多くの自他の『真の幸福』を得ることが出来ると

私は信じています。

今まで通り、失敗も多く・・・

曲りなりにも一所懸命生きてゆくとともに、

私のこの人生修行のプロセスを通して、だんだんと観えて来た、

『私の歩むべき人生』を更に楽しくそしてド真剣に歩んで参ります。

これからもご指導・ご鞭撻の程、どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

・・・38歳になって、今、一番大切にしたいこと

それは『自身の心身の健康』であります。

気分は「永遠の28歳」なんですが(18歳!? 笑)、

私自身、もう10代や20代のような若さは

ゆっくりではありますが、だんだんと無くなって来て、

『老い』というものを感じて来ました。

この『老い』というものを、最初受け容れるのは

最初、ものすご〜く抵抗がありました。

しかしながら、自身の「ありのまま」を冷静に観察した際、

やっぱり「老い」は必ずいつかはやって来るものだと思い、

断腸の想いで受け容れることが出来てから、

何だかココロや、人生自体が軽く(ラクに)なりました。

きっと、こうやって、ちょっとずつ「老い」というもの、

そしてそれとセットで存在する「死」というものを

人間は受け容れて、そして逝くものだと感じました。。。

また、人生の先輩方と日々多く接しさせていただき、

その先輩方から「老い」「死」というものを

リアルに感じ、言動や後ろ姿から、

教えていただいております。

私もこのまま生き続けれいれば、

必ず、40歳・50歳・60歳・・・と成ってゆきます。

この老化・死は、受け容れがたい現実であると同時に、

命を持って生まれて来た者の「自然な流れ〜必然〜」であります。

人生最大且つ唯一の苦難である死(老い)を

この年齢から、ちょっとずつ受け容れて、

そして本当に死を迎える時には安らかに旅立って

逝きたいと思っています。

(最期に、死にたくない〜!って抗って、もがき苦しみたくはないです)

・・・よい人生を歩む為には、

この『自身の心身の健康』が基本として存在しないと、

いくらお金を持っていても活かし切れないし、

仕事・ボランティアなど、

人様のお役にも立つことが出来ません。

次に、必要なのが

『必要最小限の衣・食・住』なのではないでしょうか?

着る服がない、食べるものがない、住む場所がない程、

金銭的に困っている人間が、

人様のための、あらゆる施しが出来るとは思えません。

その次に必要なのが、

「ゆとり」なのではないでしょうか?

物質的(金銭的、モノカネ)のゆとり、時間のゆとり、心のゆとり

この3つです。

例えば、四国遍路のような精神修行、

各種ボランティア活動は、

この3つのゆとり全部がある程度ないと、

することが出来ません。

ということで、今後も更に・・・

①自身の心身の健康

②必要最小限の衣食住

③物質的・時間・心のゆとり

以上3つを更に高めて参ります。

この3つの「人生のあり方」があって、

次に来るのは、「じゃー、実際どんな生き方をする?〜やり方〜」が

問われて来るのだと思います。

それをこの誕生日前後から、

紙とペンで「ああでもない、こうでもない」と

書き綴っております。

こんな感じで、文書化(見える化)しますと

客観的に自分の人生観が観えて、

よりよい方策が観えて来ます。

後一週間くらいでまとめきりたいなと思います(%笑う女%)(%王冠%)