『組織』というものの弊害

大きな物事(ミッション)を成し遂げる為には、

一人だけの力では到底無理なので、

『組織』という個人の集合体を形成する。

『組織』というものが、何故存在するのか?

それは、そこに集まった個人(組織員)の総意として、

ある決められたミッションを達成する為である。

そこの組織に集まった組織員が

ある目的(ミッション)を達成するために、

自身の人生や社会(誰かの人生)、はたまた地域や地球環境が

よりよくなるためにつくったのが『組織』である。

ところが、場合によっては、

組織員たちが、よかれと思って作った『組織』の

弊害によるものと思われる事象も起こって来る。

時が経ち、何故その『組織』を立ち上げたのか・・・

そんな大目標の部分が、だんだんとぼやけて来ると、

『組織』のミッションが、

『組織』を継続・発展させること自体にすり替わっていたり、

『組織』の中で「仲良しクラブ」化され、

「組織の中で揉め事も、面倒くさいこともなく、楽しくやっていこう」

というように、よりよい活動をしなくなって来る。

そして「この組織にいる人間だけが儲かる(幸福になる)ことしかやらない」

ということになれば、その組織は『末期ガン』の状態で、

社会(誰か、天)によって崩壊される寸前である。

また、組織員の間で、意見・価値観の相違が出てきて、

派閥が出来たり、足の引っ張り合いが起こったり、

その組織が権力争いの(自己顕示欲をアピールする)

場と化している場合もある。

私は、問いたい。

何のためにその『組織』を創ったのか?

何のために、『組織』はこの社会に存在しているのか?

その根本を忘れた、プカプカ浮遊し続けている組織(個人)は

果てしなく多い。

正に、本末転倒、そして哀れ!

以上が最近、『組織』に対して感じることであります。

以上のように感じておりますので、

私はどの組織に対しても、どっぷり浸かる気はありません。

常に片足(軸足)は外に置いております。

常にその組織を客観的・大局的に観ております。

(自分が属している組織も、属していない組織も

常に客観的に・大局的に観るように心がけております。

物事をそのように常に捉えておかないと、常に正しいことを捉えておけず、

正しい判断、そして行動が出来なくなるからです)

両足どっぷり浸かってしまいますと、

その組織が、外(その組織外の人)から

どのように見られ、思われているかが

自身が見え辛くなってしまい、

外の人たちとの感や価値観がずれて来てしまい、

良からぬ衝突の種(因)になってしまうからです。

ほんと、シンプルに・・・

最初に決めた組織のミッションを

組織員が一致団結して、着実に達成し続けている組織は、

全体の1%もないように観えます。

結局、組織がうまく行かない理由も、

その人個人の人生がうまくいかない理由も、

人間の我(わがまま)があるからのようです。